第34回(2018)
科学の発展と人類の精神的深化に卓越した貢献をされた、京都賞受賞者の方々のお話を間近で聴くことができる講演会です。 研究内容・業績についてはもちろん、「人生観」「価値観」「考え方」など、受賞者の方の人柄に触れられる、貴重な機会です。ぜひお気軽にご参加ください。
2018年
11 /11 日
13:00〜16:30
会場:国立京都国際会館
言語:日英同時通訳あり
第34回(2018) 京都賞受賞者
講演テーマ
脳の秘密を照らす光遺伝学――単細胞藻類のタンパク質の研究から
講演要旨
ここ、京都賞受賞への道のりは、1980年代のハーバード大学から始まりました。初めは、職業として執筆活動に専念しようと考えていました。しかし気が付けば、科学との出会いによって、生物学と工学から生まれる新たな原理の数々に魅了され始めたのです。スタンフォード大学(ここで今でも患者さんの治療を行っています)で医学と神経科学の博士号を取得し、精神科の研修を受けた後、同大学の生物工学科で研究を始めました。そして脳の疑問に関して新たな答えを見つけるため、あるいは少なくとも新たな疑問を投げかけるため、これまでとは異なる脳研究手法の構築に取り組み始めました。疑問を探り出す新たな方法が必要なのです。脳は生体であり、細胞や血液からなる器官です。しかし精神疾患の場合、骨折した脚や弱った心臓を診察したり理解するような今のやり方では、器官そのものには何の損傷もないことになります。 私が開発した最初の技術の一つである光遺伝学では、古細菌や緑藻類の遺伝子を哺乳動物の特定の脳細胞に導入します。奇妙なことではありますが、確かな論理に基づき、こうして導入された微生物の遺伝子から、光を電気に変換するタンパク質が生成されます。電気は、脳の基本的な言語です。これらのチャネルロドプシンタンパク質は光駆動性イオンチャネルであり、藻類はこれを使うことで光合成に適した光条件を求めて動き回ることができます。私たちは、タンパク質の構造を解明し、イオンの選択性、動態、スペクトル特性を変化させて再設計することにより、このタンパク質が働く原理を解明することができました。これによって、藻類の行動に関する光駆動性イオンチャネルの動作を制御する基本原理が明らかにされたばかりでなく、動物の行動を解明するための新たなタンパク質の創出も可能になりました。その結果、現在ではレーザーライトを照射(細い光ファイバーを通して脳深部まで届ける)することで、神経細胞のオン・オフを切り替え、行動への影響を観察できるようになっています。 この研究により今では、快楽、報酬、社会的行動、課題に取り組む動機づけといった主な行動や、(マイナス面の)不安、うつ状態、恐怖などの症状を、脳内のどの細胞や連結が実際に制御しているのか明らかとなっています。この光遺伝学の技術は神経科学界全体に定着してきており、今では脳の回路を制御することで行動に関する脳の働きを細胞レベルで正確に調べることができます。
講演テーマ
代数解析と50年
講演要旨
私は1965年に東京大学に入学し、2年後数学科に進学しましたが、当時はまだ数学者になろうとは考えていませんでした。1968年に佐藤幹夫先生と出会ったのが、数学への方向を決める決定的な要因となったのです。そのころ、小松彦三郎先生(当時は30代)がアメリカ滞在から帰られて、佐藤先生と小松先生による代数解析セミナーが毎週開かれるようになりました。私は1年先輩の河合隆裕さんに強く勧められてこのセミナーに参加し、そこで佐藤先生に出会いました。そしてそのことが、私が数学の研究、特に代数解析の研究を始めるきっかけとなったのです。 佐藤先生は、代数解析の創始者です。数学では変化する量を関数と呼び、それを研究するのが解析学です。数とその演算(和・積)を通常の数以外のものにまで拡張して研究するのが代数学です。代数解析は、解析学の奥に潜む本質を、代数学を使って解明します。 佐藤先生は、1969年、私がセミナーに参加し始めたころ、変化が滑らかでない関数を、代数的に扱うことを可能にする超局所解析というアイデアを提出されました。この考え方は、その後、解析学のみならず数学の他の分野にもいろいろな形で波及していきました。その中で特に、幾何学と代数学を、解析学を用いて結びつけるという手法を確立したのが私の中心的な仕事です。 私は1971年に修士課程を修了し、佐藤先生と河合さんが移られていた京都大学数理解析研究所の助手になり、それから数年、お二人とともに、超局所解析の建設に熱中したのでした。この時期に、お二人と一緒に数学ができたことが、私の数学人生における大きな一歩でした。お二人からは数学研究の楽しさを教わりました。その後、リーマン-ヒルベルト問題の解決、結晶基底の発見など、多くの仕事をしてきましたが、お二人との出会いが私の数学研究の礎となったのでした。
講演テーマ
イン・ザ・シャドウ・ア・シャドウ
講演要旨
本講演では、パフォーマンスやビデオ、インスタレーションなどを媒体として、対象のイメージを変容させるという私の発想をたどるとともに、芸術の歴史や文化的な儀式など、私自身のものを除く芸術作品に繰り返し現れるテーマについてもお話ししたいと思います。モダニズムの伝統における詩的構造や映画で語られる言葉に対して私が抱いている関心が、作品の構造・内容の着想に不可欠なものになっています。こうした視覚的・聴覚的認識にまつわる体験は、私の記憶と作品に深く刻み込まれています。ドローイングも私の作品と切り離せない要素の一つです。どのプロジェクトでも、作品を展開する空間、技術、主題、素材やテクニックとの相関から、複数のドローイング方法を試してきました。また、身体動作へのアプローチと展開のほか、音、音楽、カメラ、空間などに関連した小道具の使用についてもお話ししたいと思います。内容を十分にご理解いただけるよう、パフォーマンスやビデオ作品の映像も使用する予定です。 まず、鏡を小道具として使うことから始めました。鏡を使ったパフォーマンスを行ったのです。これはミラーステージとも呼べるでしょう。ほぼ同時期にビデオという媒体を取り入れるようになりますが、それは1970年に日本でポータパックを購入してからのことです。ビデオのモニターは、いわば現在進行形の鏡です。Organic Honeyに見られるように、自分とは正反対の別の自己が創り出されるプロセスを映します。その後、ライブビデオパフォーマンスを行ったり、ビデオ作品の自主制作を行ったりするようになりましたが、どちらも互いに影響を及ぼしました。同時に、屋外の空間と距離感が作品のイメージや、音やイメージに対する認識をどのように変えるのかをテーマに、屋外でのパフォーマンスも行いました。 私のアーティストとしての歩みの中で重要な出来事としては、以下の3つが挙げられます。 - おとぎ話を発端に、物語の要素を取り入れた作品の制作を開始(1976年) - パフォーマンスを行う舞台装置を彫刻と見なすことに着想を得た初のインスタレーションStage Setsを制作(1976年) - 自身のパフォーマンスを基にしたインスタレーションの制作に興味を持ち始める(1994年) 1990年代後半には、彫刻とビデオの要素を組み合わせた作品“My New Theater”シリーズを発表するとともに、大がかりなパフォーマンスとインスタレーションも制作しました。90年代後半以降は、パフォーマンス用に映像による背景幕のようなものを制作してきました。それそのものは編集された作品で、それを背景に私がパフォーマンスを行ってきました。本講演では、一つの映像を別の映像と並置することで語りと視覚効果を階層化・複雑化させるという私の作品のコンセプトについても触れたいと思います。上に挙げた初期の作品は、後のより複雑な作品のひな形になっていると言えるでしょう。 さらに、作品の中を歩きながら隣接スペースにある別の作品を見ることができるという、大規模なインスタレーションについてもお話しします。 (2019年4月23日:既出の翻訳を見直し、藤田瑞穂氏による新訳を掲載)