第7回(1991)
1991年
11 /11 月
会場:国立京都国際会館
第7回(1991) 京都賞受賞者
講演テーマ
努力はいつか実を結ぶ
講演要旨
私が高分子化学の世界に入ったことと、リビング・ポリマーを発見したことは予期せぬ出来事の結果であった。確かに私はラッキーだった。ただ、重要なことがひとつある。それは、「一生懸命に頑張れば頑張るほど、多くの幸運を得ることができる」ということだった。これは、特に若い方々に覚えておいてもらいたいことである。 それから、もうひとつ重要なことは、「予期せぬ出来事は頻繁に起こる」ということである。予期せぬ出来事は、記録してその意味を理解することが重要だ。そこで、問題が生じる。予期せぬ出来事を調査すべきか、放っておくべきか、それとも、気に留めておくだけにして予定通りのそれまでの研究を続けるか、こうしたことを決めるのは、とても難しいことだ。予期せぬ出来事をすべて追いかけるのは、野生の雁を追いかけるのと同じで、無駄な努力に終わってしまう。時間と努力はもっと重要な問題に使うべきである。しかし、新たな通路を見つけたのにそれを放っておくのは、金鉱を見逃すことになるのかも知れない。決定を下すためのガイドとなるような規則もない。現象を理解し、知性と直感に頼るほかない。これは一般的な問題で、研究に限らず常日頃の生活でも生じる問題で、そこでなされる決定がきわめて重要なこともあるのだ。
講演テーマ
科学者という職業
講演要旨
優れた科学者になるにはどうすればよいか。このことについて、わたしは次のように主張する。すなわち、科学的問題に強い関心を持つこと、自分の選んだ分野の基本的問題を明確にして解決するための真の能力を持つこと、そして、いくら一般に受け入れられている説明でも論理的かつ明確に述べられていないものは疑ってかかり、もし満足に説明し直すことができないときは、その説明を退けて新たな説明を追求することだ、と。この主張を裏付けるため、わたしは自分自身の人生を例に挙げて、子供のころどんな科学者あるいは非科学的興味を抱いていたかということ、大学や大学院で数学を研究したこと、その後、気象学を学び、それを職業として選んだこと、そして最も重要な研究成果を得るに至った状況などについて、詳しくお話したいと思う。さらに、大気が無秩序に反応を示すことを指摘するとともに、そうした大気の状態によって、気象学研究に用いるべき方法がどのような影響を受けているかについて論じることにする。
講演テーマ
金色の魚
講演要旨
芸術はすなわち質であり、その質を判定するには何らかの基準が必要である。 昔から演劇においてはこの基準の立て方がとても難しく、文学や美学、絵画、哲学、社会学、政治学といったほかの分野での基準で評価されてしまう場合が多い。何より問題なのは、一番よく用いられる基準が、使い古されて真の意味を全く失ってしまった「文化」なる言葉の中に包含されていることだ。 しかし演劇の性質をよく考えてみるならば、演劇の真実とは唯一、観客との瞬間瞬間の相互関係にしか存在しないことが判ってくる。予測外の価値ある何かが起きるも起きないも、まさにこの、役者と観客が触れあい、摩擦を起こす領域での話なのだ。 もし、この領域こそが金色の魚の住処であったならば、この魚を日の光の下に釣り上げ得る漁網とはどんなものだろうか? 演劇の場で行われていることへの考察は徹頭徹尾「今現在のこの瞬間」に終始するものであり、この深みこそ金色の魚が人知れず泳いでいる。この魚を釣り上げる網とはどんな性質を持っているのだろうか?穴だらけなのだろうか、入念に網あげたものなのだろうか?