第6回(1990)
1990年
10 /24 水
会場:国立京都国際会館
第6回(1990) 京都賞受賞者
講演テーマ
遺伝子研究の冒険
講演要旨
遺伝学とは、生物の設計プランを研究する学問であり、ある生物を特定化する遺伝情報が、世代から世代へと、どの様にして伝達されていくのか、また、遺伝子がどの様にして新たな生命体を造り上げていくのかを解明しようとすることである。 この分野は、生物学の中でも中心的な役割を担っている。なぜなら、生物体系が他のあらゆるものと異なる理由がここにあるからである。 私は今までに多くの遺伝子に関する興味深い研究に携わってきたが、私の初期のバクテリオファージに関する興味深い研究ほど、心を躍らされたものはない。この時期に関しては、既に多くの人々によって語られてきたが、私は、単なる科学的な内容の説明にとどまらず、より幅広く話をするようにという稲盛理事長の希望に沿うよう努めたい。 これは歴史の話であり、それもかなりせまい範囲の歴史である。なぜなら、そのほとんどが、私の科学上の仕事と人生についてのものだからである。過去について多くを語ろうと思い、また、現在についてもいくらか話したい。そして、未来についても少し触れようと思っている。
講演テーマ
チンパンジー—人と動物を結ぶ生きたかけ橋
講演要旨
チンパンジーは、地球上でもっとも魅力ある動物の仲間である。複雑な社会生活をいとなみ、各々の個体が独自の個性と履歴をもっている。家族の絆は生涯にわたって存続し、様々の知能的行動を示す。森林破壊がアフリカ全般におよぶのにともなって、チンパンジーは急速にその数を減らしている。食糧として狩猟の対象になり、子どもは売買のために捕獲されている。行きつく先は、生理学的にヒトにたいへん似ているという理由で、医学研究用の実験動物となってしまう場合も多い。行動、感情、知能の面におけるヒトとチンパンジーの類似のことも、われわれは忘れてはならない。 チンパンジーはわれわれ人類にたいへんよく似ているので、ヒトの自然界における位置をよりよく理解するための多くのヒントを与えてくれる。 チンパンジーは「ヒト」と「動物」をつなぐかけ橋とみなすことができるのである。しかし人類は特殊であり、われわれの知能はこの世界を破壊しかねないところまで技術を発達させてしまった。われわれにはもう希望はないのか。ないわけではないが、それは、全人類が力を合わせ、ひとりひとりが重要な役割を担っているのだとの認識があってのことである。
講演テーマ
経験としての建築—芸術と科学の境界から
講演要旨
私の仕事の歴史と哲学は完全に一致しており、それは私の人生の物語の中の、単純で直線的な結果であり、ここでそれについて少し述べてみたいと思う。 私は、何代にもわたって建築業を営んできた家系に生まれた。この仕事についた最初の頃は、私は「建築」ではなく、「建築」の部分を理解することに費やした。そして1964年から1970年にかけて得た経験から、私は細かいディテールに注意を払うことを覚え、職人の気質や忍耐を要するこの仕事に愛着を感じるようになり、また、言葉と行動、つまり頭と手を同時に働かせる習慣をすっかり身につけることができた。 そして、1971年から1977年の間に、パリのボーブール・センターで、リチャード・ロジャース、ピーター・ライス、トム・バーカー、イシダ・シュンジ、オカベ・ノリアキらとともに、最高の共同作業を行うことができ、この二人の日本人建築家とはその時以来の友人である。これが、「ピース・バイ・ピース」の建築の経験の最後となり、そして、それに注がれた決意と職業上の進歩両面において、それは最も真剣な仕事であった。 この後、1978年から1982年にかけて反動があった。大きなプロジェクトに対する疲労感と、自分の力を別の、人間と社会との交流という、すばらしい世界に対して試みたいという願望とを持つようになったのである。この間、幸いにもUNESCOのプロジェクトに数多く参加することができ、これらの経験から人の話を聞くということ(そして目的と手段とを間違えないこと)について多くを学ぶことができた。私は謙虚であることを覚え、個人的な栄光というものに対して控え目になり、静かな創造性の良さを知ったのである。 最後に、1983年から現在までは、過去に学んできたことを混ぜ合わせるということを楽しんで来た。つまり、私は、科学知識の世界と私が色濃く受け継いでいる根深いイタリアの伝統に沿った人文的・社会的文化の世界の融合、洗練された職人の作品の精密ではあるが時として素朴な組み合わせ、また、モジュールによる部分ごとの方法でありながらひとつのものに溶け合った、即ち、歴史や自然のもつ背景との調和を求めた一個の 有機体といしてあるもの、こうしたものとの混合である。同時に私は、技術と自然との不安定な分断を埋め合わせるべく努めてきた。つまり、私は、現在の混迷した科学と技術の世界に文化を浸透させ、それを止揚することができるような、建築という“言語”を、模索し、研究しているのである。 IBMのための巡回展覧会、ヒューストンでのメニル・ コレクション、チューリンでの カルダー展、パリのシュルムベルジェ工場の修復、ビチェンツアのロワラ本社、ラヴェンナのスポーツ・ホール、チューリンのフィアット・リンゴット工場の修復、ローデスの古代壁、等々。 建築に関する私の哲学が何であるか、私には分からない。私が興味あることは、「建築を作ること」である。私は道徳主義者でもなければ、ピューリタンでもなく、ましてやボーイスカウト精神の持ち主でもない。 そして幸いなことに、私は後世に伝えるべきスタイルというものを持たない。私にあるのは、おそらく、建築のメチェ(職業)に没頭する姿勢だけであろう(もっとも、これは古くからあるものだとおもっているが)。