第5回(1989)
1989年
11 /11 土
会場:国立京都国際会館
第5回(1989) 京都賞受賞者
講演テーマ
大規模システム環境における創造性と技術革新—個人的評価—
講演要旨
大型システムを含む分野における創造性は、私が生まれてから今日に至る間にも相当な変化を遂げてきました。私が最も創意的になり、数々の考案を重ねてきた分野は、“交換技術”と呼ばれるものであります。 私が最初に交換技術に興味を抱くようになった当時、この分野の先駆者達は、それぞれが大きく貢献していたにも関わらず、ほとんど認められていませんでした。私の大きな願いは、各々の先駆者の貢献が認められるようになることだけでなく、この分野全体を曖昧な技術から、ある程度専門的なものへと引き上げようというものでした。今日、交換技術の原理は、一般的に理解され、認められるようになり、そして、受け入れられるようになりました。この分野への多くの貢献者が認められ、また彼らの新しい原理への探求によって、この分野意欲的に拡大されてきました。 この講演では、電気通信技術の分野における個人的な経験のいくつかをご紹介したいと思います。開発に10億ドル以上もの経費を費やすシステムにより、創造性のための環境が変化を遂げてきました。従って私は大型で複雑化したシステムを含む分野において、更に知識を得て、より創造的になりたいと考えている人々のために、自分自身の経験からこうした願いに利益をもたらすような行動パターンを引き出してまいりました。
講演テーマ
人間の心理学における二つの原型
講演要旨
1.この講演は、純粋数学と応用数学、神経生理学、細胞生物学、サイバネティックスにおける私の研究活動の経験に基づいております。 私が第一に注意しましたのは、科学、統計学、科学技術の多くの分野において極めて有用である古典数学が、生物学、医学、心理学等の多くの分野では役に立たない、ということであります。このような事柄について考える内に、これには深い理由があり、従って私たちはもっと広い視点からこれらの問題を考察しなければならない、ということに気付きました。この思索の最終段階はきつい研究が3ヶ月以上続きましたが、稲盛財団が私にそうするための機会と契機を与えて下さったことに深く感謝致しております。また、私は、稲盛財団の目的にかなうと思われる結論に到達したことを非常に喜んでおります。 2.私はこの講演の中で、人類にその始原から組み込まれた2つのアーキタイプがあるということ、そしてこれらの2つのアーキタイプ間の対立によって生じる二現性があるということを説明したいと思います。 第一のアーキタイプでは、人類は生物の進化における高度な達成-「創造の最高の栄誉」-と見なされます。この概念は、広く知られており、また科学技術、生物学、物理学などの目ざましい成功により具現しつつあります。 第二のアーキタイプでは、人類はあらゆる生命ある自然の一部であり、それから切り離すことは出来ません。たとえ出来たとしても、一時的で、そのような分離の限界を認識するだけになります。おそらく、これが才気【cleverness】と英知【wisdom】の違いをなすポイントになるのでしょう。私達は生命体についてほとんど知らないので、たとえそれが遺伝情報のように非常に優れたものであっても、個々の知識の断片から全体像を理解することは絶望的です。 一見、二元性は普遍的ではなく、例えば数学は第一のアーキタイプとのみ関係しているように見えます。しかし、私は、数学は明らかにまた第二のアーキタイプにも属していると思います。 3.現代世界の主な特徴の一つは、その極端な全世界化と、この全世界化によって引き起こされる諸問題が世界へ蔓延することだと思われます。実際、あらゆる現代のコミュニケーション手段(自動車、飛行機、遠距離通信)は、世界を相互に強く影響を及ぼし合う一つの結合したシステムに変えています。しかし、人間性の精神面にとってもそうであるとは言えません。ですから生命の論理的、科学技術的な面(第一のアーキタイプ)と精神的な面(第二のアーキタイプ)との間に大きな不均衡があるのです。 講演では、この不均衡によって起こる、人類にとって非常に重大な問題のいくつかに注目したいと思います。 4.「適切な言語」を創り出す必要性があるのには、二つの基本的な理由があります。 一つは、全世界化は異なった伝統、文化等を持つ世界の様々な地域が相互に作用(コミュニケート)する必要性を引き起こします。そして私の言う適切な言語がなければ、誤解が生じ、危険な状態になるからです。 もう一つの理由は、このいわば対立は世界の異なった地域間にのみあるのではなく、二つのアーキタイプ自体の間にもあるのです。もし言語が適切でなかったら、第一のアーキタイプの方がより大きな能力を持っているため、第二のアーキタイプは抑圧されてしまうでしょう。 もちろん、いかなる適切な言語であっても、人類の両面であるこれらのアーキタイプを統一することは出来ませんが、少なくとも相互に作用させる可能性があります。こういった適切な言語という概念を少しお話させていただきます。 5.20世紀の数学にとって、「構造」という概念は非常に重要です。私は、この概念は適切な言語を創るために有効であろうと思います。この構造の基本的な構成要素を構造単位と呼びましょう。この構造単位は三つの条件をそなえていなければなりません。 1)構造単位の内部構造は、これが外界と相互作用する形態よりも遙かに複雑であること; 2)構造単位の部分は、一つの構造単位ではないこと; 3)a.減退の法則:たとえば進化の過程で見られるように、構造単位の機能しない部分は除去されること; 3)b.過剰の法則:構造単位の機能しない部分は、その構造単位の中で仕事を見つけようとすること; 生物学や社会学などにおいて、1、2、3aのタイプと、1、2、3bタイプの興味深い例が数多くあります。 6.講演の最後に、社会に対する数学者の責任について意見を述べ、その後、数学におけるいくつかの新しい方向についてコメントしようと思います。
講演テーマ
私の人間形成について
講演要旨
私はかつて歴史家のアラゴン氏に、歴史というものはどういうふうに書かれるのか、尋ねたことがあります。そのとき彼は「あなたが考え出すもんだよ」と言ったのでした。それで、こんどは私が、私の生活や作品に影響を与えた重大な出来事や、人の名を挙げなさいと聞かれたのですが、実際のところ、全ての出来事が、全ての人々が、そしていまなお私に影響を与え続けているあらゆる事柄が、とても大事なのだというしかないのです。 私の記念講演は自伝的なものですが、以上の出来事や人々のなかから、いくつかについてお話しするとともに、出来る限り広く、でもときには限定しながら、いかにそれらの出来事や人々が私の作品に影響を与えたかということをお伝えしたいと思います。 私は次のような文章で締めくくりたいと思います。 私たちはいま時代の移り変わりに生きています。多くの人々は、音楽がどのように使われるのか、また私たちに何が出来るのかということについて、考えを変えようとしているのです。音楽は人間のようにしゃべりませんし、辞書に出てくる定義や、学校で習う理論などを教えてくれるわけでもありませんが、それが振動であるということを通して、私たちにとても簡明に語りかけてきます。この揺れ動く状態に注意を払うということは、固定した理想的なパフォーマンス等というものにとらわれないで、そのときどきに注意深く、いま起こっていることがどうなっているのかということに耳を傾けることなのです。その状態は、2度と同じである必要はありません。音楽は聴衆を、本来的な瞬間に運んでくれるのです。 これが私の現在の考え方なのです。