第4回(1988)
1988年
11 /11 金
会場:国立京都国際会館
第4回(1988) 京都賞受賞者
講演テーマ
人工知能の論理と哲学
講演要旨
梗概:この講演では、人工知能に取り組む方法としての論理の歴史と現状について議論する。それは、私が研究してきた論題について重点をおいている。論題の中には、常識的知識及び推論、認識論的に適切な枠組みの概念、状況論理、及び形式化された非単調推論等がある。論題に関する予備知識があることを要望はしないので、講演は、これらの話題についてあまり深くは立ち入らないであろう。
講演テーマ
言語と精神:挑戦と展望
講演要旨
20世紀における自然諸科学の統合へ向かっての印象的な歩みとともに、人間の思考と行動に関する研究が、次なる探究の最先端として考えられるようになってきており、そして、新しく、且つ刺激的な研究課題を提起している。認知科学は、行動及びその産物の研究から、行動、解釈、知識と理解の成長の基盤となっている心の内的仕組みに研究の焦点を移すことをもたらした。この「認知革命」は、いくつかの伝統的な問題を科学的研究の最先端へと運んできた。それはまた思考と行動の性質に関する古典的な考えのいくつかを、形式科学と自然科学の進歩により利用可能となった枠組みの中で再構成するという形で再登場させた。特にこれらの発展は、言語の性質、使用および獲得に関する生産的な研究を行うことを可能にしており、さらに、こうした研究によって明らかになった性質を持ち、且つ諸条件を満たす神経機能の研究への手がかりを与えるようになっている。そして結果として、科学的理解の更なる統合化に対する希望を与えている。 最近の研究は、心はモジュール的な性格を強く持っており、各心的能力は相互に作用しあうと共にそれぞれ独自の内部構造を持っていることを示唆している。人間の生物学的資質のひとつの要素である言語能力は、普遍的な原理によって基礎付けられている。 これらの原理は、人間の言語の基本構造を与えるものであって、許された範囲内での変化の選択を決定するのに十分なだけの断片的データに基づいて、知識と理解の豊かなシステムが発達することを可能にしている。この言語能力は、運動システム及び知覚システム、さらには同様の性質を持っていると思われる概念システムにも緊密に結び付けられている。 環境に合致しながら、「心の中で成長する」言語は、無限個の表現の構造を決定する生成的手続きであり、それによって思考を自由に表現することが可能になる。 最近の研究は、言語デザインはある意味で機能不全であるということを示唆している。すなわち、一方においては、エレガンスと簡潔性の条件を満足せねばならないし、又、一方では、言語の使用に関する難しい計算上の問題を生ずるものである。このような性質は、生物学的システムの領域内では一般的ではないと思われる言語に関する他の性質に関係しているのかも知れない。これらの性質はコミュニケーションを妨げるものではなく、又、進化論的生物学と矛盾するものではない。しかし、どうしても説明を要するものである。 言語能力は明らかにヒトという生物学的種に依存する属性である。それはヒトという種に共通のものであると共に体質的にヒトという種に固有のものであり、人間という存在の多くの側面に関して基本的なものである。そしてそれは研究のためには比較的近づきやすいものである。言語能力の細部にわたる構造は、言語に特有なものであるように見えるが、他方、知識、信念、判断、創造と言った他のシステムは、言語能力の秘密が少しずつ明らかになるにつれて解明され始めた一般的な性質のいくつかを共有しているのではないかと考えることも出来よう。
講演テーマ
インド哲学の始まり
講演要旨
1923年に始まる私の大学での研究の対象は、当初は古代インドの聖典語サンスクリットの研究を含む「(インド・ヨーロッパ諸語の)比較言語学」であった。まもなく、私は「インド学」に転向した。言語学に対する関心をすっかりなくした訳ではなかったが、古代インドの宗教(ヴェーダの宗教文化、バラモン教文化)、哲学、およびサンスクリット文学全般のほうに強い興味を抱くようになったからである。 ヴェーダ宗教文化の特徴は、古代イランの宗教と同様に、自然の諸力と諸要素、および人格化した倫理概念に対する崇拝から成っている。前者は、暁(ウシャス)、太陽(スーリア)、火(アグニ)、風(マルト)などでデーヴァ「天上に(住まうもの)」と呼ばれ、後者は、真理(ヴェルナ)、契約/盟約(ミトラ)、厚遇(アリアマン)、公正(バガ)などでアスラ「支配者・王」あるいはアーディティアと呼ばれた。 事物の原因と起源を求める宗教的探究は、宇宙生物成論の形をとる問と思索へ、そして究極には「形而上学」に至る道を歩んだ。 私が特に関心を抱くテーマは、「リグヴェーダ(紀元前二千年紀中葉以降成立の、最古の宗教詩集成)における哲学的賛歌」であり、これらは宇宙生成論を主題としている。これらの「哲学詩篇」は、様々な観点が提示される議論の場として解するべきである。例示としてリグヴェーダ第十巻七十二篇、第十巻百二十九篇を挙げ、後者については詳細に論じる。ここで特に興味を惹く点は哲学的懐疑の深まりがみられることにあり、この懐疑から、人間には、そして又、神々ですらも「創造の始源の始源」の闇を透察する事はできないのだという確信が導きだされる。