第33回(2017)
2017年
11 /11 土
会場:国立京都国際会館
第33回(2017) 京都賞受賞者
講演テーマ
トランジスタと歩んだ半世紀
講演要旨
今から28年前の1989年8月、打ち上げから12年もの長い宇宙の旅を経て、惑星探査衛星ボイジャー2号は45億kmのかなたより、一般家庭のテレビにも海王星の鮮明な映像を送り届けてくれたことを覚えておられるでしょうか。この45億kmというのは1秒間に地球を7周り半も走る光の速さをもってしても4時間以上もかかる遠い距離で、そのため映像信号をのせた電波が地球に届く頃には、電波は随分と弱くなってしまいます。当時の東京タワーから送られてくるふつうのテレビ電波に比べ約1兆分の1にまで弱くなってしまうのです。こんなに微弱な電波から映像信号を取り出してくれるのが、HEMT(ヘムト)といわれるトランジスタなのです。HEMTとはHigh Electron Mobility Transistorの略称で、高電子移動度トランジスタと呼ばれることもあります。HEMTはわれわれにもっと身近なところでも活躍しています。近頃よくベランダなどに設置されたパラボラアンテナを見かけるようになりましたが、実はそのパラボラアンテナには必ずHEMTが使われています。赤道上空36,000kmにある放送衛星から送られてくる微弱なテレビ電波を受信するためです。HEMTはBS放送という新しいメディアを世界的に普及させた新世代のトランジスタです。 私がこのHEMTを発明したのは1979年のことで、半導体トランジスタの研究を始めたときから数えて約10年もの長い年月が経った頃でした。この間、トランジスタのアイデアが浮かぶたびに実験し、上手くいかなかった原因を考えて再び実験をするという、まさに試行錯誤の繰り返しであったわけです。どんな分野の研究開発でもそうだと思いますが、前人未到の道を進んでいくのは、精神的にもかなりの緊張や不安が伴うものです。こういう緊張や不安を乗り越えさせてくれるのが、研究開発の面白さや、個人的な執念、あるいは職業に対する使命感、研究仲間の協力、先輩方からの励ましなのだろうと考えています。これからも先端技術という道のかなたを夢みつつ、微力を尽くしてまいりたいと思っています。
講演テーマ
マジカル・ミステリー・ツアー:物理学・応用数学から植物生理学へ
講演要旨
十代の初め頃からずっと、生物物理学者になりたいと言い続けていました。それは一つには、他人と違うように見せたい、大人びて見せたいと思ったからですが、新たに発展しようとしている分野を経験したいという気持ちもありました。その気まぐれな関心が、結局は本当に好きなことへと成長したわけですが、その途上で脇見をしなかったわけではありません。博士課程の前に三つの大学に行ったこともそうですが、博士課程を履修し始めたちょうどその時期にバレエを習い始め、見方によっては、それも脇見をしたことになるかもしれません。ダンスと科学はよく似ていています。技術の習得が重視されることや、振付家と研究室長の役割もよく似ていますし、創造性が魔法のように降って湧くという面もあります。実際に、ダンスは私の科学研究に力を貸してくれました。時間の効率的な配分を余儀なくされ、健康を保つことができ、実験で気持ちが落ち込んだときに気分を晴らしてくれ、また、巧みに実行された想像力溢れる企画に対する尊敬の念を育んでくれたのです。もちろん、交際範囲も広がり、固い友情も生まれました。40歳でダンスをやめ、18ヘクタールの田舎の土地に引っ越し、カンガルー、ハリモグラ、ウォンバットなどが楽しみになりました。また、3人の子育てはとてもやりがいのあることでした。その間ずっと、光合成、植物と水の関係、生態系と進化、経済性の諸側面と最適制御理論など、さまざまなことに思考を巡らせ、私に「趣味人(ディレッタント)」というレッテルを貼る人もいました。しかし、陸上植物は経済的に水と二酸化炭素を交換しているのか、という問題を考えるにあたって、それらすべてがその所を得てひとつにまとまりました。金持ちの経済的なお金の使い方は、貧しい人の経済的なお金の使い方とは違います。植物でも同じで、植物では豊富な水分供給が豊かさに相当します。長い時間をかけて、大胆な植物と用心深い植物をいかに識別するかを考えました。その結果、葉に含まれる重い炭素の安定同位体の量と、大気中の二酸化炭素に含まれる量とのわずかな違いを測定することで、それを識別できることがわかりました。素晴らしい! 数々の偶然の間をジグザグにたどった結果と見るか、深慮遠謀の成果と見るか、どちらにせよ、科学は私にとって大きな楽しみの源泉であり、何にも代えがたいものです。
講演テーマ
思い通りの人生/思いがけない人生
講演要旨
本講演では、並外れて幸運だった私自身のキャリアを例に引きながら、歴史記述や批評に関するいくつかの問題と、音楽の研究と実践における様々な側面と音楽学との関係についてお話しさせていただきます。具体的には、主体性と偶然性の弁証法、あるいは相互作用、因果関係の本質、学問において個人の価値観に基づく解釈や批評と事実の伝達との適切なバランスが必要であること、さらには、芸術作品を媒介する際のことばの重要性と、そのことばを確立するために音楽学者がなすべきこと、などです。 私の場合、幼い頃に思い描いていた仕事に就くことができたという意味では、これまで歩んできた道のりは真っすぐな道だったと言えます。しかし別の意味で、それは曲がりくねった道でもありました。なぜなら、道の途中で、思いも寄らなかった研究領域に足を踏み入れたり、一介の研究者にはめったに訪れないような機会に恵まれたりもしたからです。音楽学者や音楽史家としての私の仕事に大いに役立っているのは、一時的に行っていた他の音楽活動で、運命の巡り合わせが違っていたら、私はそちらの道に進んでいたかもしれません。たとえば、作曲を勉強したことや、短期間ながら古楽のプロ奏者として活動したことがそれに当たりますが、音楽以外でも、ロシア語やロシア文学、そしてロシア文化を学んだことが大いに役立っています。また、本格的な学術研究や論文の執筆と並行して、新聞や雑誌に寄稿する機会を得たことは、それまでの文体やコミュニケーション方法を見直す大きなきっかけにもなり、こうして身につけた文体やコミュニケーション方法を、私は教え子に伝えてきたのです。さらに私の場合、他の研究者にはないような経験と専門知識をもとに打ち立てた仮説が、一見奇抜に思えたものの、結局はその有益性と影響力を認められることになったのでした。自分が思いもよらぬ道のりの果てにそうした仮説にたどり着いたことを考えると、人間が何を成し遂げたにせよ、それは決して必然でもなければ絶対不変のものでもないと思わざるを得ません。 教え子に常々話してきたことですが、何かを創造する仕事で実績を残すには三つの条件が必要です。それは、適性(「才能」や「能力」と言ってもいいでしょう)、野心(もう少し穏やかな表現がお好みなら「意欲」や「やる気」)、そして機会(「運」とも言います)で、このうちのどれか一つが欠けてもうまくいきません。一人ひとりに当てはまることは、誰にでも当てはまることでもあります。ですから私は、歴史に関する文章を書く時には、重要人物の才能や類まれなる能力だけでなく、重要な出来事の決定要因としての戦略と偶然性の綱引きも重視しています。芸術の歴史記述の分野には、その誕生当初から感受性を重んじるロマンチシズム的傾向があり、今もなおその名残が見て取れます。そのため、より現実的な側面を強調するアプローチが、時に物議を醸すこともありました。したがって、現実を正しく認識するうえで自らを省みることは必要であり、今回、そうした機会を与えていただきましたことを嬉しく思っています。