第28回(2012)
2012年
11 /11 日
会場:国立京都国際会館
第28回(2012) 京都賞受賞者
講演テーマ
ものの見え方
講演要旨
人の視覚的記憶は強いものです。私たちは、人々のこと、できごと、ものごとを記憶していて、時が経ってもそれらが「見える」のです。写真はその視覚的記憶を呼び覚ます助けになります。好きなものの写真は、写真に写っている以上のものを思い出させてくれます。 人々は視覚的記憶を共有します。画家は絵画で視覚的記憶を表現します。詩人は注意深く選択した言葉で視覚的記憶を表現します。文学作品は「言葉の絵」で視覚的記憶を記録しています。 視覚的記憶は想像上のことがらであるともいえます。写真と違って、絵画は、画家の心の中にあるものを見せることができます。作家は事実かのように物語を書きます。詩人は、注意深く選択した言葉で人の感情を表現します。画家、作曲家、作家、アニメ製作者などが実際に存在しないものを見せてくれる創造性は素晴らしいものですが、どこかに残っていた記憶かもしれません。 画像は科学の進歩を助けます。顕微鏡は微生物の世界を見せてくれました。望遠鏡のおかげでガリレオは木星の衛星を発見しました。新しい画像は、私たちの住む世界の理解の仕方を完全に変えてしまいます。 人の心から表現された画像もまた、新たな理解をもたらします。画家が存在しないものを絵画で表現するように、数学者、技術者、科学者も想像物の絵を作ります。これらの絵は私たちを未来へ導きます。数学的曲線は、その特性を明らかにします。タンパク質の形状はその機能を明らかにします。橋梁の図面はどのように見えるかを示すだけでなく、どのように建設するかも教えてくれます。 コンピュータグラフィックスは創造のための道具にすぎません。創造性は人の心の中に存在します。これまで存在しなかったもののイメージ、そのようなものであろうというイメージ、あるいは私たちの住む世界を理解する助けとなる考えのイメージ、これらを与えてくれる人間の創造性を大事にしようではありませんか。その手段としてのコンピュータグラフィックス、紙に描いたスケッチ、方程式、または文章といった形式は重要ではありません。その意味するところが、その表現から人の理解の中に飛び込んでくるのであれば、その形式が最善なのです。理解されるということがその価値なのです。
講演テーマ
酵母から見えてきたオートファジーの世界—細胞内リサイクルシステム—
講演要旨
私は1945年、終戦の半年前に福岡に生まれ日本の戦後と共に生きて参りました。まさに45年になろうとする研究人生は、順風満帆とは言えず、実に細い道のりでしたが、多くの偶然や出会いによって支えられてきました。今私は、科学は人類の弛まぬ努力によって築かれてきた知の体系であり、私自身まさしく社会的な存在であることを感じています。 私の大学、大学院時代が分子生物学の確立期にあったことが、本来化学をめざしていた私に生物学の道を選ばせることになりました。若い時にタンパク質生合成の研究からスタートしたことは、その後、私の細胞研究に大変大きな影響を与えました。私の一貫した研究材料である酵母との出会いは、実は米国ロックフェラー大学のノーベル賞学者エーデルマン研に留学した時にさかのぼります。マウスの受精の研究を始めましたが、一転して酵母を材料とすることとなりました。そして日本に帰国後、東大理学部 安楽泰宏教授のもとで、現代の生物学に決定的な役割も演じてきた酵母の研究を本格的に開始し、液胞を研究の対象にすることにしました。私は競争の激しい分野で研究をすることが苦手で、人がやらないことを手掛けようというのが信条であり、当時細胞のゴミタメとの認識が拡がっていた液胞を解析し、液胞が活発で重要な機能を担うオルガネラであることを明らかにしました。 1988年に東大教養学部でまさしく最小の研究室を立ち上げ、液胞のもう一つの機能である分解をテーマにしようと考えました。直後に始めた顕微鏡観察がその後のすべてを決めることになりました。細胞が自分自身を分解するオートファジーは、動物細胞で50年前に発見されながら中々進展が見られませんでしたが、酵母の液胞での分解がその優れたモデルとなることを示すことが出来ました。ついで分子遺伝学的手法によりオートファジー遺伝子を同定することができました。これらの遺伝子は酵母から人に至るまで広く保存されていたことで、オートファジー研究は一気に加速し、現在、高等動植物における生理的な役割が爆発的に進展する時代を迎えています。分解というのは一見負のイメージがありますが、生物にとって合成と同じような大きな役割を演じています。 私は膨大な情報に惑わされずに、予断を持たず自然現象に向き合うことでまだまだ我々の理解が拡がって行くと考えています。 今日の生物学研究は一人でやり仰せるものではなく、受賞の対象となった研究は延べ80人にも及ぶ共同研究員の不断の努力の賜物です。素晴らしい研究仲間達を心から誇りに思っています。現在、私の研究室出身者がオートファジー研究を国際的にも牽引していることは大変嬉しいことです。
講演テーマ
いくつもの声
講演要旨
私は、幸いにして現在の姿にしてくれた教育に感謝せずにはいられません。両親は、他人のことを考えるように私を躾け、育ててくれました。男女の違いについて敏感であるのも両親のおかげです。私は初期のラーマクリシュナ運動の影響を受けましたが、これも両親のおかげです。その運動は階級、民族、宗教などによる派閥主義的な偏狭頑固な考え方に革命をもたらすものでした。このような運動がもたらした革命は、今日では、子供たちへの徹底した教育がなされていないためにほとんど忘れ去られています。私たちは、他の「発展途上の」国々と同様に、倫理的反射に必要な心の筋肉を鍛えるという欲求を失ってしまったわけです。私が受けた初等教育や両親の示した手本によって、私という人間の形成は母語であるベンガル語、支配言語の英語、そして北インドの古典語であるサンスクリット語を通じて行われました。小学校から大学までの恩師やニューヨーク・ヴェーダーンタ協会の僧からは、豊かな精神性を授かりましたし、マルクス、デュボイス、グラムシは、私に社会的正義について考えることを教えてくれました。そして、ジャック・デリダの著作との偶然の出会いによって、これらの要素を哲学的な形にまで高めることができました。1986年に、私は底辺から学ぶ準備ができたことを認識し、バングラデシュで農村地域教育とPHC(プライマリ・ヘルス・ケア)の活動を始めました。また、友人の詩人を通して、フォキル・ラロン・シャハの信奉者たちが唱える壮大な対抗神学的な考え方に深く親しむようになりました。家事使用人だった読み書きのできない子供たちに「教える」という私の子供時代の習慣が地方の活動家からの要請で呼び覚まされて、学校も数校開設しました。年月を重ねるにつれて、コロンビア大学と西ベンガル州ビールブーム県という両極端での教育活動に違いはなくなりました。私の課題とは、民主主義の直感的な実践に関し、その教育に誤りがあったことから教訓を引き出すことです。そのような実践には自主自律と他人の権利のせめぎあいがつきものだからです。高い目標としては、知識人における自律的な批判の習慣が、基本的な市民的自由権、すなわち言論の自由の存在によって生み出されることです。つまり、それは建設的な自律的批判精神を通じて言論の自由を規制する民主主義です。身近なところでは、たった1人の学生であっても、全方向からの抑圧に対抗して正当化された自己利益や単なるリーダーシップとは全く異なる民主的判断のようなものを発揮するだろうという希望です。京都賞受賞者としての私がなすべき努力は詩人のアドリエンヌ・リッチの言葉の中にあります。「私たち自身の内に存在する聴くべき声を呼び起こすこと。」