第27回(2011)
2011年
11 /11 金
会場:国立京都国際会館
第27回(2011) 京都賞受賞者
講演テーマ
新しいパラダイムを求めて
講演要旨
ずいぶん前になりますが、中堅の研究者だった頃、トーマス・クーンの名著『科学革命の構造』を読みました。その時、私は、物理化学の世界を離れて冶金学者になってよかった理由をようやく見つけました。冶金学は、パラダイム構築の途上にあって、私には刺激的な学問だったのです。私は、学生や研究仲間に、クーンを読めば自分にふさわしい分野を見つける助けになるとよく言ったものです。ほとんどの研究者は、学問の権威や確かさから確立された法則のある研究を選択しました。一方で、パラダイムが与えられる前の科学分野で、それゆえに深い理解が存在せず、慎重な観察を行う研究者もいました。さらに、進取の気性に富んだ少数の研究者はパラダイムを構築したいと考えていました。 子供の頃、私はよく難しい質問をしました。そして、徐々に自然科学に引き込まれていき、24歳の時に物理化学の博士号を取得しました。クーンは物理化学を確立した法則のある成熟した科学であると指摘しています。化学者のほとんどは、これらの法則を頼みにすることで、研究の完璧性を期することができ、それに満足していました。しかし、法則のない周辺分野の研究をする研究者もいました。彼らの研究は冷ややかな目で見られていましたが、私は、その中にも興味深いものがあると思いました。固体は不活性であり、化学者の興味の対象ではないと教わりましたが、固体物理学を学んでみると、違った風に思いました。冶金とセラミックスは、古くからの技術でしたが、ニュー・サイエンスに提供される魅力ある技術的知識が非常に多くありました。私は、化学の立場から固体を研究する学問分野を作り出す可能性に興味を持ち、シカゴ大学の金属材料研究所に職を得て、それに取り組みました。2年後、世界的なゼネラル・エレクトリック研究所の冶金及びセラミックス開発研究室に移るという幸運に恵まれました。この研究所は、他の研究者から独立した研究を期待し、非常に基礎的な研究から新しい応用研究まで、あらゆる研究活動を支援していました。時には商品問題の解決を依頼されることもありましたが、その時でさえ、より深く掘り下げ、科学的に欠落しているものを突き止め、適切な解決策を提供する機会が与えられました。私は、そのような環境の中で開花し、ほどなく広く認められるようになりました。私は研究の独立性を大切にし、その後のマサチューセッツ工科大学や米国国立標準技術研究所でもそれを守りました。驚いたことには、私たちが冶金学で構築したパラダイムの多くが、広く自然科学の分野で、また一部の社会科学の分野で、普遍的に適用、利用されています。そのいくつかについては本日の講演の中で紹介したいと思います。
講演テーマ
宇宙物理学・宇宙論の革命50年—一科学者の目を通して—
講演要旨
私は、旧ソビエト連邦、かつてのシルクロードの多民族都市で、第二次世界大戦の最中に生まれました。そして、17歳の時に物理学を学ぶためにモスクワに行きました。高名なソビエトの物理学者、ヤーコフ・ゼルドヴィッチ先生との出会いは私の人生を根底から変えました。なぜなら、 1. 積極的で、勤勉で、そして非常に気さくな偉大な科学者と仕事をできる機会を得たこと、 2. そして、その前の指導教官たちから役に立たない科学と言われていた高エネルギー宇宙物理学と宇宙論の研究に導かれたからです。 これは非常に幸運な一歩でした。60年代前半までの天文学の進展は比較的遅かったのですが、60年代半ばになると、ほとんど毎年のように大きな発見が続いたからです。この過去50年間の大きな発見には次のようなものがあります。 1. 宇宙全体を満たす宇宙マイクロ波背景放射。その角度分布や周波数スペクトルには、宇宙全体の基本的性質に関する多くの情報が含まれている。 2. 宇宙論的距離にある準恒星状電波源(クエーサー)。あらゆるスペクトル帯で観測される超高輝度放射は、遠方銀河核にある超大質量ブラックホールへの物質降着によるものと、今日私たちは理解している。 3. 電波パルサー。強い磁場を持ち、高速で自転する中性子星。 4. ガンマ線バースト。数秒間にわたって天空すべてからの放射総量よりも明るいガンマ線を放射する。 5. 物質降着する恒星質量ブラックホールと中性子星。表面での準規則的な核爆発を伴う。 6. 太陽系外惑星。これは太陽系惑星の起源や特異性の理解を深める道を開いた。 7. 宇宙誕生期のインフレーションの証拠と暗黒エネルギーと暗黒物質の存在の証拠。但し、まだ誰も地上実験でその存在検知に成功していない。 私自身、これらの問題に熱心に取り組んでいる世界中の多くの観測天文学者、宇宙論者、そして理論宇宙物理学者を知っています。彼らの努力によって、科学者たちは新たに発見された現象の性質を理解したり、周知の物理学をもとにそれらを説明したりすることができました。しかし、より興味深いことは、理論家が新しい効果を予想し、放射線検出器技術の急速な進歩によってそれらの予想された出来事が実際に天空で観測されたことです。これらの一つ一つによって、私たちの宇宙に関する理解の正しさが確認されました。恩師のヤーコフ・ゼルドヴィッチ先生と私が共同で提案した効果の場合には、このような観測が可能になり現代宇宙論に役立つまでに40年以上の歳月が必要でした。私たちが予測した初期宇宙に存在した音波の痕跡が今後何十億年も天空で観測され続けるとは信じられない思いがします。また、大きな疑問があります。そのような先の時代にも地球上に観測者は存在しているのだろうか、と。 南極望遠鏡、チリの標高5千メートルの砂漠に設置されたアタカマ宇宙論望遠鏡、そしてプランク観測衛星が熱いガスを伴う銀河団の方向に“負”の電波源を数多く検知していることを、ヤーコフ・ゼルドヴィッチ先生がもはやお知りになれないことは残念なことです。 今や私たちは、宇宙について、そしてその性質やパラメーターについて多くのことを知るようになりました。それでも、まだ明らかにされていない多くの問題が残っています。私が関わっている科学分野、宇宙物理学と宇宙論は、この先少なくとも20年から30年は発展し続けるであろうと期待しています。
講演テーマ
私の考える舞台芸術
講演要旨
私が何故舞台芸術に携わるようになったかという事をお話しさせていただきます。 まず「演技」ということになりますが、私が小さい時の感覚から言いますと、見た人の印象を自分なりに受け取ってその人のようになってみるとか、人のマネをするとか、あるいは他人になるということが一番の原動力だったような気がします。当時は専門家になるということは考えておりませんでした。14歳の頃五代目坂東玉三郎を襲名させていただきました時、養父から『今日から専門家になるんだよ』と言われたことで初めて専門家になるのだという自覚を持ったのです。専門家とは、歴史的な背景を基にして、今日の演技法が成り立つまでに、どのような過程を経ているかを学ばなければなりません。その演技形態が、時代の特色と共に移り変わって現代に至るということを知らなければなりません。また女形になるには、俗に言う「歌舞音曲」等を会得しなければなりません。歌舞伎は歌うように台詞を言えることも大事です。楽器を演奏できること、特に江戸時代に出来た歌舞伎の古典的な生活様式を専門的に表現できるように作法を身につけなければなりません。また舞台装置や、衣装、髪の結い方、化粧の様式等、時代考証を学んで、その時代の様式に合った役柄を作っていかなければなりません。 しかし、根本的には他人になったような思いで行動する、現実には他人になることは無理なのですが、自分以外の人物になれたような気分になる。そして様々な時代や場所の中に入って行く、それが役者の魂でもありましょうし、演技の根本だとも思えるのです。このような考え方は若い頃ははっきりと持っていた訳ではありませんでしたが、専門家として、お客様の前に出させていただけるようになってから学んだことなのです。 ただし舞台の上で演技を通してお客様に観ていただくものは、自分の演技ではなく自分の演技の遙か向こう側の世界を観ていただくとも言えるのではないのでしょうか。演劇的な空間を通して、幻想・理想・空想というものを感じて貰うことが大切だと思っています。 また演技をしながら、想像したものになるということは自分でなくなることでもあり、自分がこの世からいなくなり、自由になる、人間でないものになる、あるいは空間そのものになり、香りになる、自然の中の一部になる、というようなことにも発展して行くのだと思います。子供の時から、水の流れになる、桜になる、蛙さんやお猿さんになる、そのようなことから始まり、次第に文学的なこと、文化的な深い分野を表現できるようになることが私の考える舞台芸術なのです。今までお話しさせていただいたことの次に大事なことは、自分を含めて、観客はある芸術作品を見て、その見えたものの外の世界に飛んで行き、自由に魂を遊ばせるということが最も大きな目的でもあると思います。 今日はそれらの事柄について、演技の根本や、役柄など、各分野に別けてお話しさせていただきます。