第25回(2009)
2009年
11 /11 水
会場:国立京都国際会館
第25回(2009) 京都賞受賞者
講演テーマ
コバルトブルーに魅せられて
講演要旨
私がルミネッセンスに興味を抱くようになったのは、大学を出て最初の職場で、テレビ用ブラウン管の蛍光面を担当することになった時です。その後、名古屋大学で、ゲルマニウム(Ge)単結晶作製と半導体物性の研究に取り組み、1961年、今日“気相エピタキシャル成長法”と呼ばれている方法で、Ge単結晶膜の作製に成功。これが縁で、1964年、新設の松下電器東京研究所に招かれ、Ⅲ-Ⅴ族化合物半導体の結晶成長と発光素子の研究を始めました。 1960年代、赤色や黄緑色の発光ダイオード(LED)や赤外の半導体レーザは開発されていましたが、青色発光素子は70年代に入っても実用化の見通しは全くありませんでした。 高性能の青色発光素子の実現には、窒化ガリウム(GaN)などエネルギーの大きい半導体の高品質単結晶の作製と、そのpn接合の実現が不可欠ですが、いずれも極めて困難だったからです。私は、なんとかしてこれらの困難を克服し、GaN pn接合による青色発光素子を実現しよう―と志を立てました。 しかし、結晶成長は困難を極め、試行錯誤の繰り返しでした。1970年代後半、多くの研究者がこの“未到の半導体”の研究から撤退し、“一人荒野を行く”心境で愚直にGaNの結晶成長に明け暮れていました。1978年、ごく微小ながら高品質の結晶を顕微鏡の視野に捉え、GaNの可能性を直感しました。そして、もう一度、本研究の原点である“結晶成長”の基本に立ち返ることを決意しました。これは私にとっても、GaNの研究開発にとっても大きな岐路でした。1979年、GaNの結晶成長に最適の方法として、“有機金属化合物気相成長法(MOVPE)”を採ることにしました。この判断が正しかったことは、今日、青色LEDなどGaN系素子が殆どこの方法で作製されていることから明らかです。 1981年から、名古屋大学で院生・共同研究者の多大の協力を得て、低温バッファ層技術による高品質GaN結晶、この結晶へのマグネシウム添加と電子線照射によるp型伝導、さらにGaN pn接合型青色LEDなどを、初めて実現しました。講演では、その後の展開についても述べたいと思います。
講演テーマ
ダーウィンの志を継いで
講演要旨
チャールズ・ダーウィンは1835年にガラパゴス諸島に5週間滞在し、動物、植物、火山を観察して、自然淘汰による進化についての画期的な考えを発展させました。現在ダーウィンフィンチ類として知られているフィンチ類は、当時の彼の考察の中で重要なものでした。私達は、200万年から300万年前にガラパゴス諸島にやって来たフィンチ類の祖先種が、どのようにして、現在もそこに生息する13種のダーウィンフィンチ類に分化したのかを解明するために、この37年間、毎年ガラパゴス諸島を訪れています。 私達は、二人ともイングランド育ちで、田舎の自然に触れる機会がありました。英国で学部課程を修了した後、カナダのブリティッシュ・コロンビア大学に移り、二人はそこで出会いました。結婚し、カナダのマギル大学で職に就き、そして家庭を築いて何年もが過ぎてから、私達は、ガラパゴス諸島での野外研究プログラムを開始しました。それまでの二人は研究分野が異なり、ピーターは生態学、ローズマリーは 遺伝学が専門でした。この専門分野の違いは、私達の共同研究の成果を、単純に二つを足し合わせた以上のものにしました。問題に対する見方の違いから相互作用が生まれ、それぞれが専門分野だけに留まっているよりも大きな見識を得ることができたのです。 研究は、当初三つの疑問を解決するためのものでした。一つ目は、「新しい種はどのように分化したのか」、二つ目は、「進化において種間競争は重要だったか」、そして、三つ目は、「なぜ、ある個体群のくちばしや体の大きさ等の形質が他と較べて多様であるか」という疑問です。その答えを得るために、私達はガラパゴス諸島のいくつかの島の異なるフィンチの集団の研究と、ヘノベサ島での11年間、及び大ダフネ島での37年間の詳細な研究を結び付けました。つまり、生息域の空間的分布と時間の経過を結び付けたのです。私達の最も重要な発見は、自然淘汰による進化を観察、測定、解釈できた事、そして、それは環境変化によって繰り返し起こるという事です。進化のスピードは非常にゆるやかで、人の目では観察できないと信じていたダーウィンは、きっと驚くでしょうが、喜んでもくれるでしょう。
講演テーマ
ダーウィンの志を継いで
講演要旨
チャールズ・ダーウィンは1835年にガラパゴス諸島に5週間滞在し、動物、植物、火山を観察して、自然淘汰による進化についての画期的な考えを発展させました。現在ダーウィンフィンチ類として知られているフィンチ類は、当時の彼の考察の中で重要なものでした。私達は、200万年から300万年前にガラパゴス諸島にやって来たフィンチ類の祖先種が、どのようにして、現在もそこに生息する13種のダーウィンフィンチ類に分化したのかを解明するために、この37年間、毎年ガラパゴス諸島を訪れています。 私達は、二人ともイングランド育ちで、田舎の自然に触れる機会がありました。英国で学部課程を修了した後、カナダのブリティッシュ・コロンビア大学に移り、二人はそこで出会いました。結婚し、カナダのマギル大学で職に就き、そして家庭を築いて何年もが過ぎてから、私達は、ガラパゴス諸島での野外研究プログラムを開始しました。それまでの二人は研究分野が異なり、ピーターは生態学、ローズマリーは 遺伝学が専門でした。この専門分野の違いは、私達の共同研究の成果を、単純に二つを足し合わせた以上のものにしました。問題に対する見方の違いから相互作用が生まれ、それぞれが専門分野だけに留まっているよりも大きな見識を得ることができたのです。 研究は、当初三つの疑問を解決するためのものでした。一つ目は、「新しい種はどのように分化したのか」、二つ目は、「進化において種間競争は重要だったか」、そして、三つ目は、「なぜ、ある個体群のくちばしや体の大きさ等の形質が他と較べて多様であるか」という疑問です。その答えを得るために、私達はガラパゴス諸島のいくつかの島の異なるフィンチの集団の研究と、ヘノベサ島での11年間、及び大ダフネ島での37年間の詳細な研究を結び付けました。つまり、生息域の空間的分布と時間の経過を結び付けたのです。私達の最も重要な発見は、自然淘汰による進化を観察、測定、解釈できた事、そして、それは環境変化によって繰り返し起こるという事です。進化のスピードは非常にゆるやかで、人の目では観察できないと信じていたダーウィンは、きっと驚くでしょうが、喜んでもくれるでしょう。
講演テーマ
理想への道
講演要旨
その晩年、「若き日の理想」について問われた詩人ステファヌ・マラルメは、それに答えて、次のような一文を書き記しました。「幸福なのか虚しいのか、私の若い頃の意志はまったく変わらず生き続けている」。 私は話を本題の終わりから始めました。人生を総括するのも難しいことですが、予見し、意のままにすることなど不可能だからです。しかし、私たちは自己形成をしながら自己発見していくものであることは確かです。厳密な意味での理想とは、間違いなく、多少なりとも偶然的な出会いから生まれるのです。私たちは、その出会いに対して、意志を持って反応し、受け入れたり拒絶したりすることを積み重ねていくのです。 直感によって捕えた現代性。これを私は自分の手の届くものにしたい、自分のものにしたい、理解したいと切望しました。しかし同時に私は、自分にはその実現のための道具がないこと、つまり、言語、文法、文体を習得していないことをはっきり自覚していました。従って、どうしてもこの段階から始める必要がありました。 この学びの必要性は、結果として私にとっての一つの行動指針となって現れました。それは、初めは厳密なものでしたが徐々に自由度をもったものになりました。 無論、音という必要不可欠な与件を通じて、そしてまた、伝統的素材とエレクトロニクスのおかげで拡がった音楽の手段・要素とが真っ向から対峙する時に、これらを行ってきたのです。 疑問は止むことなく湧き出で、それに対する自分自身の答えを見つけるためには、一つの強固な理想を身につけることが必要です。この理想は、明確な言葉で表現できるものでしょうか。できません。本当に不可能です。もし私たちが答えを知っていたとしても、どのようにしてその何かを書き、あるいは生み出すことができるというのでしょうか。いずれにせよ、私を奮い立たせているのは、私の中にある未知のものです。それが何であるかを正確に知ることは、それを実現する前には不可能です。このようにして、試行錯誤を重ねながら、理想の軌跡が構築されていくのです。 話を終えるにあたって、もう一度「若き日の理想」についてのマラルメの答えを引用したいと思います。「私のつつましやかな人生が意味を持ち続けるために、私は自分自身を裏切ることはなかった。」この一文に私が付け加えたいのは、追い求める目標の困難さと大きさを考えれば、「つつましやかさ」は見せかけではなく、非常に現実的に捉えたものであるということです。