第21回(2005)
2005年
11 /11 金
会場:国立京都国際会館
第21回(2005) 京都賞受賞者
講演テーマ
移動祝祭日—我が輝ける日々
講演要旨
ノーベル賞受賞作家アーネスト・ヘミングウェイは、1920年代にパリで過ごした日々を「移動祝祭日」のようだ、と書いています。時代と場所こそ違いますが、私もヘミングウェイと同じ刺激的な日々、つまり「移動祝祭日」を実際に体験しました。その話をしたいと思います。 ペンシルベニア州フィラデルフィア市で、両親が自分たちには無縁だったもの‐正規の学校教育‐を重んじる家庭環境で育ったときの思い出を、つまり、私の人生観を形作る上での出来事、また、どのような助言を受け入れ、どのような選択をしてきたのかを振り返ります。さらに、私は専門家として世界で初めて液晶ディスプレイを開発し、その後、人生の最終章ともいえる現在に至るまで、10年ごとに新しい道を歩んできたことをお話しし、創造性に関する私自身の考えについても触れてみたいと思います。
講演テーマ
好きなことを貫く—素晴らしい人生をおくるために
講演要旨
人が自分の行為を楽しめるのは、自分が楽しいと思うことをやっているときです。これは私自身のこれまでの人生の指針であり、学生を指導する際の基本原則でもあります。私は学生たちに、自分が情熱を傾けられることについて課題を見つけるように促していますが、その際には他人がそうすべきだと思うことではなく、自分自身の信念に基づかなくてはならないと訴えています。私は学生たちに問題を投げかけはしますが、決して押しつけたりはしません。私自身の問題を学生に取り組ませたとしても、その取り組みは創造性を欠いたものとなり、最低限の成果しか望めないでしょう。これに対して学生たちが自分で見つけた問題に取り組めば、他人が想像さえしなかったような成果をあげることも可能であり、その結果その研究領域に新たな一石を投じることができるかもしれません。自分の進路選択にあたって、私は常にこの信念に従おうと努めてきました。時にはその選択が無謀に思えたこともありましたが。 これまで私は絶えず2つの力に突き動かされてきました。この2つは一見すると矛盾しているようですが、これらをうまく統合させることにより、私は自分が楽しいと思うことに取り組み、自分の行為を楽しみ、そして社会を良くするために必要だと思われる課題に生産的に向き合うことができました。今もそうですが、私は昔から謎解きが大好きで、数学の持つ力、美しさ、そして抽象概念に心を魅了されてきました。しかし同時に私は、私たちを取り巻く環境がいかに壊れやすく、また人間活動が環境に対していかに惨い仕打ちを加えてきたかという認識から、社会を良くするために力を尽くしたいという熱い思いを抱いてもいました。こうして私はごく自然に、数学と生物学、とくに生態学と進化論の統合を目指すこととなりましたが、これは40年前には比較的斬新な考えでした。今回の講演では私自身の興味の対象が、そして今や面白い研究分野に成長し優秀な若き研究者たちを魅了して止まない数理生物学が、相互に関連しながらどのように発展してきたかを振り返ります。また私たちが直面する重大な課題をいくつか取り上げると共に、現在私が情熱を傾けている取り組みについても語りたいと思います。たとえば、環境変化の影響を最も受けやすい発展途上国を中心に、世界中でこれらの分野の取り組みを強化すること。物理学者に加え、エコノミストや社会科学者との間に学際的なパートナーシップを構築すること。さらに、環境利用をめぐる利己的行為の原因を解明し、人類共通の資源と遺産の持続性確保にむけて協同して解決策を探し当てることです。
講演テーマ
マリオネットからオーケストラへ
講演要旨
私は、音楽をこよなく愛する家庭に育つという幸運に恵まれました。父は、音楽家といってもよいほどの演奏技術の持ち主でした。私の決してあきらめない、そして、何事も当然のことだと考えない、という姿勢や考え方は、良くも悪くも父を手本に形成されたものです。私はあらゆることに対して疑問を抱かずにはいられませんでした。1942年から1943年ごろには、私の考え方は、エーゴン・フリーデルの著作から大きな影響を受けました。 私は、好奇心旺盛な子供でした。一番の楽しみは、木を彫ってマリオネットを作り、人前で演じて見せることでした。この経験が後に、人々と協力して作業したり、いかに聴衆に感動を与えることができるかを知る上で、大いに役に立ちました。 病に伏せていたときの感動的な音楽体験が、私の人生を変えることになりました。ラジオでベートーヴェンの交響曲第7番を聴いた私は、音楽家になろうと決意したのです。 1948年から1952年まで学んだウィーン国立音楽院では、演奏法に関する考察や古楽や古楽器特有の響きの研究など、豊かな経験を積むことができました。この分析的な思考を通して、私なりの〈完成の域に達するための方法論〉を見出したのです。これが今では、人生全般に関する私の持論にもなっています。美に油断は禁物という考え方がそれです。 音楽に関するさまざまな問題に加え、決して忘れてはならないことは、聴き手が今という時代を生きる、現代人だということです。古楽の演奏では、技術の問題だけでなく、哲学的な問題がより重要になってきます。音楽が持つメッセージを伝えたいと願うのであれば、このことを忘れてはなりません。 1952年からオーケストラ奏者として生計を立てていた私は、1953年、妻とともにウィーン・コンツェルトゥス・ムジクス(CMW)を結成しましたが、CMWとしての仕事はフルタイムではありませんでしたし、私も妻も、「古楽のスペシャリスト」になるつもりはありませんでした。 私たちは、CMWのためにユニークな演奏曲目を集めました。CMWは、16世紀から18世紀に作られ、演奏され、その後現代まで忘れられていた作品を数多く演奏しました。私にとって重要なステップとなったのが、モンテヴェルディのオペラの器楽編成と上演を行なったことです。私がオペラを指揮するようになったのは、これがきっかけなのです。 ザルツブルクの〈モーツァルテウム音楽院〉で〈演奏実践〉を教えたことは、私の音楽家人生において、たいへん重要な位置を占めています。その授業は、演奏法に関する私の決断の妥当性を学生の前で証明する場となりました。 1986年、練習時間が十分とれなくなったため、私はチェロの演奏をやめました。今の私は、最良の演奏家たちと共演するというすばらしい幸運と、現存する最高の音楽作品を演奏する特権に恵まれています。とても感謝しています。