第10回(1994)
1994年
11 /11 金
会場:国立京都国際会館
第10回(1994) 京都賞受賞者
講演テーマ
考え、実行し、信ずること
講演要旨
「科学は、ちょうど使いながら一枚ずつ板を張り替えて作り直していかなければならない舟のようなものである。哲学者と科学者は同じ舟の上にいる。」ノイラート 人々を動かしている衝動や人々の考えが違うからといって人間の生活が異なると言えるだろうか?道徳と芸術と政治、倫理と社会システム、宗教と経済システムはみな同じ状況を抱えている。板はどのような時にも暖かで静かな波の中で腐っているか、嵐の中で大破しているのだ。作り直すのに遅れれば、人々の生活には障害が生じ、企業や国、文化、文明は亡び、科学と哲学は沈滞して時代遅れになってしまう。大切なのは絶え間ない変化の中にあっても、人類が苦労して学んだ知識を失わないようにすることである。数学的定理や俳句は何千年にも渡って、私達人類の生活を豊かにしてきた。文字で記されるずっと前から提起されてきた謎の前に、私達は未だに困惑し、私達の能力は試され続けている。 科学や技術の進歩のスピードがますます速くなっていることはよく指摘される。新しい技術が生まれ、理解の程度が高まる度に、それが他にも影響を与え、時空を超えて結ばれた豊かなネットワークはものすごいスピードで拡大し、一層複雑になっている。しかしもっと広い意味での人類の文化がそれと同じほどの成長を遂げていることは見逃されがちである。これはその成長の大部分が、文化におけるテーマや人々を動かしている衝動が次々と完結しては、また新しく生じたものが混乱を引き起こしながら成長し整理統合していくという形で起こるからである。そのような成熟した文化複合体は後の世の新しい動きや全く違う起源を持った動きに影響を与える。人的ネットワークが世界中に広がり、過去へとも範囲を伸ばす中で、人間の記憶の短さや歴史の変化があっても、すべてが忘れ去られることはなくなった。建築と美術は昔から長い年月を乗り越えてきたが、次第に文学がその仲間入りをし、その次には音楽が、そして今では私達は過去に行われたパフォーマンスを楽しむことさえできる。もちろん完全に失われてしまうものもあり、人間の頭脳はすべての時代の豊かさを保持することはできない。しかし人類がまだ赤ん坊や子供だった時代に考えたり、行動したり、信じていたことの意味する知恵やその知識や経験はますます私達現代人の魂の一部になってきている。そこからこそ未来が生まれるのであり、私達の舟が航海に耐え得るかどうかは、私達が毎日、毎年、そして世代を超えて、舟を作り、また作り直していくとき、そのような知恵や知識や経験をバランスよく統合していけるかどうかにかかっている。
講演テーマ
数学とブルバキ—我が半生—
講演要旨
本日の講演の目的は、数学者としてのアンドレ・ヴェイユの履歴を簡単に振り返ることであるが、ブルバキの創設にまつわる重要なエピソードにも触れたいと思う。 数学者はよく早熟であるといわれ、数多くの数学者が幼い頃から数学的な才能の片鱗を見せたという逸話に事欠かない。私の場合もまさにそうで、7歳の時に、すでに数学に没頭し始めた。旅行等による海外の文化的な影響もすぐに、人生を潤すようになる。数学教育は、ほとんどがパリのエコール・ノーマル・スペリエールでなされた。この学校の歴史はフランス革命にまでさかのぼり、多くの著名な科学者を生み出した所でもある。同校への入学希望者は非常に競争率の高い試験(自然科学と人文科学の両科目)を受けなければならず、学生および卒業生の間に育まれる堅い友情の精神が、同校の特色となっている。 ここで培われた友情の精神は、やがて、ブルバキとよばれる集団研究グループの設立につながっていくのである。1980年代に始まったこのグループ活動は、集団研究を通じて近代数理科学全体の最新の基礎を築きあげたのである。その始まりは、私とアンリ・カルタンがストラスブールで数年間、共同で基礎微分積分学のコースを受け持っていたことに端を発する。二人は、数人の仲間(エコール・ノーマル出身の若者ばかりであった)に呼びかけ、力を合わせて集団研究を始めたのであった。
講演テーマ
私の映画観
講演要旨
内容は、私の映画観、映画をどの様なものと考えているか、その私の考えが中心になると思います。 そして、私の映画の創り方についても少し話したいと思っています。 それから、映画はこう云う風に見て貰いたいと云う事も話したいと思っています。 しかし、話と云うのは自然の流れで出て来るので、前もってこう云う事をこう云う風に話すと、決めてしまっては面白い話は出来ません。 当日、講演の中で思いつくままに話しをしたいと思います。これをもって講演の要旨にかえさせていただきます。