Tamao Yoshida Ⅰ
第19回(2003)受賞
映画・演劇
/ 文楽人形遣い
1919 - 2006
日本の古典芸能である「文楽」の人形遣いとして最高峰にあり、単に技芸の伝承にとどまらず、長年のたゆまぬ努力によって培われた芸と、物語と役の性根に深い理解をもって、人形の動きに創意・創作を加えることにより、人間以上の情を描き出し、「文楽」を世界で最も高度で洗練された人形劇にまで高めた。
吉田玉男師は、日本の古典芸能である「文楽」にあって、長年のたゆまぬ努力を通じて培われた芸と物語に対する深い理解をもって、人形の動きに創意・創作を加えることにより人間以上の情を描き出し、「文楽」を世界で最も高度で洗練された人形劇の位置にまで高めた舞台芸術家である。
「文楽」は、能楽、歌舞伎とともに、日本の三大古典芸能の1つであり、17世紀末に語りの名人であった竹本義太夫が、当時日本最高の劇作家であった近松門左衛門と提携した「竹本座」の人形浄瑠璃が起こりで、三味線の伴奏に乗せて、義太夫は物語の一語一語吟味した音を表現し、それに合わせて3人の人形遣いが一体の人形を動かす。義太夫と三味線と人形遣いが三位一体となって、人間が演じる以上の喜怒哀楽を表現する芝居である。
今日、日本でシェークスピアに匹敵するといわれる近松の名作の大部分は元々文楽劇のために書かれたものである。世界のほとんどの人形芝居は人形の特性を生かして、人間では表現不可能なメルヘンやファンタジーの世界を描く演劇として発展してきたのに対し、「文楽」では、近松と義太夫が、人形を使って人間以上の情を描くことを目指しただけに、「文楽」は近松の劇文学の高さと相まって、人間が演じる芝居を凌駕するほどの豊かな内容を持っている。その中で、人形独特の美と動き、表現を見せるのが人形遣いの腕であり見せ場になる。
玉男師は、人形遣いとして単にその技芸の伝承にとどまらず、あくまで浄瑠璃に描かれた人間像の表現を追求する姿勢を貫き、古典の役で人形の見せ場とされてきた演技でも、観客の喝采を浴びる派手な動きや形を見せる演技、納得のいかない表現は退けてきた。動きの少ない『菅原伝授手習鑑』の「菅丞相」が絶賛されるのも、玉男師の客受けを退けてきた人柄と芸への真摯な姿勢によるもので、玉男師の芸の特色は品格の高さにあるといわれる所以である。
戦後の「文楽」は観客が減少する一方で、一座が2つに分裂する時代が長く続き、また名人といわれた人たちが次々と亡くなるという危機に何度か見舞われた。しかし、玉男師は「文楽」の中心メンバーとして、豊かな感性で芸に工夫を加え、観客の厳しい目を謙虚に受け止めながら、その芸を磨き上げ、多くの人々の感動を呼び寄せて、それらの危機を乗り越えてきた。
1977年には日本政府から重要無形文化財保持者(人間国宝)、2000年には文化功労者に選ばれ、84歳になる今も、文楽人形遣いの最高峰として舞台の先頭に立ち、その技芸は衰えるどころかますます冴え渡っている。その見事な演技は、数多くの海外公演を通じて絶賛されている。「文楽」を通して、人間の精神表現の道を極めた吉田玉男師は、世界を代表する芸術家の一人である。
以上の理由によって、吉田玉男師に思想・芸術部門における第19回(2003)京都賞を贈呈する。
プロフィールは受賞時のものです