Martha Craven Nussbaum
第32回(2016)受賞
思想・倫理
/ 哲学者
1947 -
シカゴ大学 エルンスト・フロインド法学・倫理学特別功労教授
正義の基準に、合理的な諸個人間の社会契約に基づく平等にとどまらず、人が「何かになる・何かをする」潜勢能力(ケイパビリティ)を十全に開花させることを導入し、社会においてそれらが疎外されている弱者へのまなざしを備えた独自の正義論を提唱、社会的実践に開かれた議論を展開している。
マーサ・クレイヴン・ヌスバウム博士は、現代における正義論、法理論、教育論、フェミニズム、発展途上国への開発援助といった広範な領域で主導的な議論を展開してきた哲学者である。博士は、錯綜する現代の世界状況の中で、価値や感情の対立を含みながらも、他者と共に善き生を実現しうる倫理を提示しようと努力してきた。
ヌスバウム博士の仕事の中でも特に有名なのが、人間におけるケイパビリティ(capability:潜勢能力)の開花をめぐる理論である。これは、経済学者アマルティア・セン博士との長年にわたる共同研究の成果をさらに独自に展開したもので、ヌスバウム博士は、各人が「何かになったり何かをしたりする」可能性としてのケイパビリティを拡げ、十分に開花させることを、政治が実現すべき正義の基準であると提唱した。たとえば貧困問題も単なる財の欠如ではなく、ケイパビリティの発展が閉ざされていることと捉え直し、そうした角度から、具体的な福祉政策や発展途上国への開発援助を論じてきた。
ヌスバウム博士は、健康や身体の不可侵性のみならず、自由な想像力、批判的な思考、他者や他の生きものに対する濃やかな気遣いなどを個人のケイパビリティとしてリストアップする。そのリストは、ジェンダーの平等や児童福祉の政策に関する議論と人間開発の評価の基軸として活用され、さらには人権学習における教材として各国で使用されている。博士はまた、民主主義の基礎となるリベラル・エデュケーションと、異なる文化への想像力を陶冶しそれらとの共存を模索する多文化主義教育の必要を強く唱え、インドをはじめとして文化的背景を異にする人々とのきめ細かな論議をも数多く試みてきた。
ヌスバウム博士はまた、法の感情的な起源についての研究、とりわけ怒りや嫌悪、羞恥などのネガティブな感情の本性が犯罪やそれに対する制裁といかに結びついているかの分析を重ね、刑罰政策や立法論にも影響を与えてきた。こうした研究は、「異なる者」への排撃が日々昂進しつつある現代世界において、その根源的問題性を摘出し、解決に向けた新たな指針を示すという実践的な意義をもつものである。
このように、ヌスバウム博士は、善き社会を実現するための社会哲学・倫理学の探究と、それに基づくさまざまの社会的実践への提言とを通じて、劣化しつつある公共領域の再構築と、人類諸文化の共存・交響への道を、現在もなお強い使命感をもって探究し続けている。
以上の理由によって、マーサ・クレイヴン・ヌスバウム博士に思想・芸術部門における第32回(2016)京都賞を贈呈する。
プロフィールは受賞時のものです
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