György Ligeti
第17回(2001)受賞
音楽
/ 作曲家
1923 - 2006
第二次大戦後の前衛音楽の主流であったセリエリズムの限界を見抜き、その成果を生かしつつ独自の音楽スタイルを確立し、豊かで人間味あふれる響で人々を魅了している現代音楽の巨匠である。
ジェルジ・リゲティ氏は第二次大戦後の前衛音楽の主流であったセリエリズムの限界を見抜き、その成果を生かしつつ独自の音楽スタイルを確立した現代音楽の巨匠である。
リゲティ氏は、1956年、ハンガリー動乱のためオーストリアへ亡命した後、世界の舞台に登場した。そこで、それまでの政治的に閉ざされていた世界 とは異なる西ヨーロッパの動きと、同時代の前衛音楽に触れ、氏独自の語法と作風を創造し始めた。1959年の《アパリシオン》に取り入れられた氏独特の 「トーン・クラスター(密集音の語法)」は、ヨーロッパ音楽界に衝撃と新鮮な息吹を与えた。これに続いてドナウエッシンゲン国際現代音楽協会(ISCM) 音楽祭で初演された《アトモスフェール》は、現代音楽史に残る作品となった。その中で、氏は「クラスター(密集した音の塊)」の内部の音のすべてに精密で 複雑な運動を与えている。氏自身、この技法を「ミクロポリフォニー」と名付けているが、これによって、その巨大な音の塊は輪郭を持った形としてよりも、そ の中で克明に書き込まれた一つ一つの音の動きによる色彩の移ろいとして聴き取られるのである。
1960年代、氏は3人の歌手と7人の器楽奏者のための劇的な作品《アヴァンチュール》(1962年)、氏の作品の中でも独特な叙情性をたたえた作品《ロンターノ》(1967年)などによって、現代音楽を代表する作曲家としての不動の名声を博することとなった。
一方、1974年から77年にかけて、氏独自の新しく個性的な技法を駆使して作曲されたオペラ《ル・グラン・マカーブル》は、オペラの新しい方向性 を示す20世紀後半最大のオペラとして高く評価されている。1980年代に入る頃から、氏の作風はますます多様かつ豊かなものとなった。故国ハンガリーの 色彩の濃い作品を生み出すかたわら、アフリカ音楽など非ヨーロッパ世界への関心を高め、フラクタル(全体と部分が相互に挿入される自己相似性に関する数 学)の考え方を創作に取り入れるなどして、氏の創造は、ポリリズム(多次元リズム)や、オートマティズム(自律運動性)の独特な開拓とあわせ、豊饒な果実 をもたらしている。
セリーの技法であれ、「偶然性」の技法であれ、現代音楽のあらゆる技法・様式の限界や束縛を超えた地平に創造の可能性を求めるリゲティ氏は、自らが 置かれた政治的に厳しい状況の中でも鋭い批判精神と豊かな独創性を絶やすことなく、終始一貫した強い意思により活発な活動を今も続け、人間味あふれる豊か な響によって世界の人々を魅了している。
よって、リゲティ氏に思想・芸術部門における2001年京都賞を贈呈する。
プロフィールは受賞時のものです