Gayatri Chakravorty Spivak
第28回(2012)受賞
思想・倫理
/ 文芸批評家・教育家
1942 -
コロンビア大学 ユニバーシティ・プロフェッサー
「脱構築」理論を政治・社会的な次元へと移し換え、グローバリゼーションの席巻する現代世界において再生産されつつある知的植民地主義に抵抗してきた。比較文学をベースとする独自の人文学の提唱と多面にわたる教育支援の活動は、現代知識人のあるべき姿を示している。
ガヤトリ・チャクラヴォルティ・スピヴァク教授は、グローバリゼーションの席巻する現代世界において、新たに再生産されつつある知的な植民地主義、つまり地域、階層、民族、宗教、世代、ジェンダーなどの要因が複雑に絡みあう「知」と「権力」の見えない共犯関係に深いメスを入れ、その圧力に強く抵抗してきたインド系知識人である。教授は「脱構築」という言語中心的な批評理論を政治・経済・文化的な次元へと移し換え、歴史学、政治学、フェミニズムなどにも影響を与えながら、文化理論を核とする独自の人文学の構想を提示してきた。
とりわけ、「サバルタン」、つまり「みずから語る」ことの不可能な場所へ追いやられた人びとを論じた著作『サバルタンは語ることができるか』は、教授の仕事において中心的な位置を占める。そこで教授は、歴史的に沈黙させられ、周縁化されてきたこの弱者の「声なき声」に深く耳を傾けるとともに、その声を知識人たちが「代弁」する過程で形成される新たなアイデンティティの物語と、そこに否応もなく生じる抑圧の構造にも鋭く警鐘を鳴らしている。それを端的に表現した “unlearn” 、つまり「学び知ったものを忘れ去ってみる」という考え方によって、みずからの特権的位置をあえて突き崩していくことで「知」と「権力」の共犯関係から離脱していこうとする教授の開かれた姿勢は、グローバリゼーションを推し進める政治・経済・文化が、国民国家の枠組みを超えるどころか、逆に新たな植民地主義として機能していることを厳しく批判する「ポストコロニアリズム」の展開に大きな影響を与えてきた。教授は、この新たな植民地主義に抗いうるのは、ナショナリズムの閉じた想像力ではなく、言語に深く規定された諸文化のその複数性のなかで起動するトランスナショナルな想像力であるとし、みずから他言語に深く関わりつつ、文学や歴史のテクストを地政学的に、さらにはまた世界経済のコンテクストとの内的な連関において読み解いていく人文学を実践してきた。そのことを通して、教授は、比較文学をはじめとする人文学の領域に、現代の国際政治状況を批判する大きな力があることを示したのである。
教授の思想の背後には、講壇を出て学問を社会的な実践へとつないでいく空間をみずから切り拓いていく、学者・教育者としての生き方がある。インド国籍のまま、アメリカで教鞭をとり、また世界各地での対話や集会に出向く一方で、故郷西ベンガルを定期的に訪れ、インドとバングラディシュの農村での識字教育や現地文学の翻訳に努めている。見えない抑圧の網の目のなかで言葉と歴史とを奪われてきたマイノリティに対し、深い倫理的な応答責任を果たそうとする教授の社会的な実践には、世界各地の言論人・運動家から大きな共感と尊敬が寄せられている。
以上の理由によって、ガヤトリ・チャクラヴォルティ・スピヴァク教授に思想・芸術部門における第28回(2012)京都賞を贈呈する。
プロフィールは受賞時のものです