Alan Curtis Kay
第20回(2004)受賞
情報科学
/ コンピュータ科学者
1940 -
ビューポインツ・リサーチ・インスティテュート 代表
計算機の大型化が主流であった1960年代後半、個人の知的作業を支援するための道具を創るという考えのもと、パーソナルコンピュータの概念を提案し、計算機のあり方にパラダイムシフトをもたらした。さらに、グラフィック・ユーザ・インターフェースやオブジェクト指向言語環境などの開発を先導し、今日のパーソナルコンピュータの実現に大きな貢献をした。
ケイ博士は、コンピュータのあるべき姿はダイナミックなパーソナルメディアであるとのビジョンを持ち、今日社会のあらゆる場面で利用されているパーソナルコンピュータの原型を提案し、その実現に貢献してきた。
1960年代後半は、コンピュータはまだ専門家が用いる高価な機械であり、利用するにはプログラム言語の習得が必要であった。そして、いかに大型のコンピュータを作るか、という点に力が注がれていた。そのような時代にあって、ケイ博士は「個人の知的作業を支援するためのコンピュータを創る」というビジョンを持ち、それを「パーソナルコンピュータ」と呼んで開発研究に取り組んだ。そして1970年代初めには、パーソナルコンピュータの理想形を描いた「Dynabook」マシンを構想した。子供が自由に使え、持ち運びが可能で、無線によるネットワーク接続機能も装備する、というコンピュータのあるべき姿を提案したことは、コンピュータの在り方にパラダイム・シフトをもたらした。
ケイ博士は、自身の概念を具体的に実現するものとして、ゼロックス社パロアルト研究所で「Altoコンピュータ」の開発に、中心人物の1人として貢献した。Altoではさまざまな新技術が実装されたが、その1つに、現在標準的に利用されているグラフィック・ユーザ・インターフェースがある。ケイ博士はオーバーラッピングウィンドウなどのデザイン形成に携わった。一方で博士はソフトウェアとしてプログラミング開発環境「Smalltalk」の開発も先導した。オブジェクト指向を用いたプログラミングの成功は、後の計算機言語設計だけでなく、今日の複雑な情報システム開発のための方法論全般にも大きな影響を与えた。
博士は、教育へのコンピュータ利用の重要性を早期から認識し、子供、特に幼児に対するコンピュータ教育にも情熱を傾けてきた。現在、ソフトウェアの基本的な概念やシステムを作る際の発想法を子どもの発達段階をふまえて無理なく習得させ、情報化社会に対応できる人材を育成するプロジェクトを指導している。
ケイ博士は、30数年にわたり一貫して、コンピュータ開発者に夢を与え、コンピュータの利用分野に飛躍的な拡大を与え、今日の知的創作活動や社会・経済活動の基盤に大きな変革をもたらすことに多大な貢献をした。
以上の理由によって、アラン・カーティス・ケイ博士に先端技術部門における第20回(2004)京都賞を贈呈する。
プロフィールは受賞時のものです