第32回(2016)
2016年
11 /11 金
会場:国立京都国際会館
第32回(2016) 京都賞受賞者
講演テーマ
素人のように考え、玄人として実行する:楽しく役に立つビジョンとロボットの研究
講演要旨
研究開発に従事する人々に希望は何かと尋ねると、皆一様に「良い研究がしたい」と答えます。それでは「良い」研究とは何かと尋ねられると、答えは結構難しいです。私は良い研究の基本は、世の中に現実に存在する問題を解いて役に立つ、そして自分はその活動を楽しむということではないかと思います。そういう良い研究にはストーリーがあり、他の人々に理解させ追随させる力があります。「素人のように考え、玄人として実行する」は私の研究のモットーです。問題や解法を発想するときには、「何ができない、難しい」という先入観を捨て、「まるで」その分野の素人のように簡単に素直に考える、一方で解を実行に移すときには、緻密に正確に専門的なこだわりを持って徹底的に遂行する、という姿勢です。私は、これまで計算機に視覚の機能を持たせ、それを使って知的な行動をすることの出来るロボットの研究と開発に従事してきました。画像中の人の顔を認識し表情解析する技術、車の自動運転、医用手術ロボット、自律的に飛行するヘリコプター、顕微鏡ビデオで細胞行動の自動追跡、多数のカメラとロボットを使うスポーツ観戦の新しいメディアなど、極めて多岐にわたるものを手がけることが出来る幸運に恵まれたと思います。このような研究生活の中で、私はさまざまな人に会い共に仕事をしましたし、さまざまな課題に遭遇しました。私のモットーがそれらの人と課題と偶然にあるいは必然に織りなした研究の面白さと楽しさをお話したいと思います。
講演テーマ
獲得免疫の驚くべき幸運
講演要旨
この講演では、私が研究者として歩んだ過程で出会った多くの幸運な出来事に触れます。1950年代にM. Burnetによってクローン選択説が唱えられ、免疫系がどのようにして途方もない多様性を発揮するかという謎への挑戦が、多くの研究者を駆り立てました。1970年代の初頭、私は米国留学中にこの疑問に出会いましたが、幸運にも分子生物分野の新しいテクノロジーの開発がちょうど始まりました。1974年東京大学に帰国後、偶然、抗体遺伝子の欠失を発見し、クラススイッチ現象の遺伝学的な原理の仮説を提唱しました。その仮説を分子レベルで証明したのは大阪大学に移ったあとです。さらに京都大学で、クラススイッチと体細胞突然変異という二つの独立した不思議な現象が、一つの遺伝子Activation-induced cytidine deaminase(AID)によって荷なわれるということを2000年に発見しました。 一方、1992年PD-1と遭遇し、これが免疫のブレーキ役を荷なうことを見出し、2002年には動物モデルでPD-1阻害によってがん治療が可能であることを発見しました。22年の歳月を経て今日、がん治療のペニシリンとも称される新しい画期的な治療法として結実しました。ペニシリンに続いて発見された多くの抗生物質により人類が感染症の脅威から解放されたように、今後はがん免疫療法が改良され、がんによる死を恐れなくてもすむようになるでしょう。 免疫力は、脊椎動物が微生物などの外敵から身を守るために進化しました。この進化の過程で、遺伝子断片をつなぎ合わせてゲノム情報を多様化するという、実に巧妙な仕組みを偶然獲得しました。PD-1阻害によるがん治療の成功によって、感染症に向けての武器であった免疫力が、がんに対しても防御力となると気がついたのは二重の意味で幸運です。人類の病との戦いの中で前世紀は感染症、今世紀はがんが最大のものと言われてきましたが、この二つの疾患を人類が克服できる基本原理を獲得免疫が荷なったとは、驚くべき幸運であります。
講演テーマ
人間的であろうとする哲学
講演要旨
プラトンの有名な著作『国家』の序盤で、登場人物たちが正義をどのように定義するか論争する場面があります。そこでソクラテスは論争相手に次のことを思い起こさせようとして、こう言います。「われわれが議論しているのはつまらぬことについてではない。人はいかに生きるべきかということについてなのだ」。政治哲学というものは、西洋の伝統の中で実践されてきたそれ、また私には乏しい知識しかありませんが、非西洋の伝統の中で実践されてきたそれにしても、常に実践的な学問分野であり続けてきました。その目指すところは、分断と競争、制御できない破局に満ち溢れた世界において、人が正しくまっとうに生きていくための青写真を描き出すことにありました。今後も哲学は、よりよい世界のために私たちが協働するうえで重要な役割を果たし続け、人間にとって切迫した問題に関する価値のある哲学的仕事のための基準を明確にしていくことでしょう。そのように考えられるいくつかの理由を、本講演で示したいと思います。 第一に、われわれが哲学を必要とするのはなぜでしょうか。本講演ではまず、哲学が提供できるたぐいの洞察の一例として、過去30年間における、開発経済学に対する哲学的仕事の貢献に焦点を当てたいと思います。 第二に、どのような哲学が必要とされるのでしょうか?ここで私はいくつかの基準を提案しようと思います。人間性の発展に役立つために、哲学は以下のようでなければなりません。 1.議論において厳密であり、提示において明瞭であり、いかなる批判にも開かれていること。 2.他の学問分野、特に歴史学と経済学の貢献に敬意を払うこと。 3.世界のほとんどの人々が宗教的信念に沿って生活をしているという事実、そしてそれは人間の生の一要素であって軽蔑されるべきことではないという事実に敬意を払うこと。これは過去の諸哲学において非常によく見られる姿勢です。 4.世界の多くの哲学的伝統に好奇心と敬意を抱き、異文化間の哲学的対話の実現に関心を抱くこと。 5.人間心理の複合性を含め、正義の探究における資源と障害の両方をもたらす支離滅裂さと複合性の真っただ中にあるリアルな人間の生に関心を持つこと。