第26回(2010)
2010年
11 /11 木
会場:国立京都国際会館
第26回(2010) 京都賞受賞者
講演テーマ
iPS細胞がつくる新しい医学
講演要旨
病気や怪我で失われた組織や臓器を再生する研究は数十年前から進められてきました。今から10年ほど前に初めて報告されたヒト胚性幹(ES)細胞は、分化多能性や高い増殖能をもち、あらゆる組織や臓器の細胞を作り出す能力により、様々な難治性疾患に対する再生医療が可能になると期待されてきました。しかし、受精卵の犠牲による倫理的問題、また移植後の拒絶反応の課題がありました。これらを回避するため、私たちは、ごくありふれた細胞から有用な幹細胞を作りだす研究に着手しました。その結果、僅か4つの遺伝子の導入により、2006年にマウスの、2007年に人間の皮膚線維芽細胞から人工多能性幹(iPS)細胞を樹立することに世界で初めて成功しました。 患者から樹立されたiPS細胞はES細胞と良く似た性質をもつことから、心筋梗塞、糖尿病、脊髄損傷、パーキンソン病などに対する細胞移植治療への有望な資源として注目されています。また、研究が困難な様々な病気のメカニズムの解明や、新しい薬の探索、薬剤の有効性や副作用の評価にも役立つと期待されています。iPS細胞は様々な年齢の日本人の体細胞からでも樹立できることが確認されており、それらの細胞の多能性に大きな違いはありません。しかし、細胞移植治療への応用を考えたとき、樹立に要する時間短縮、コスト削減という課題があります。そのため、様々な移植適合型の提供者からiPS細胞をあらかじめ樹立しておき、「再生医療用iPS細胞バンク」を構築していくことを考えています。 現在、世界中の多くの大学や企業の研究者がiPS細胞研究に参入し、樹立方法は急速に改善されつつあり、iPS細胞から神経、心筋、血液など様々な組織や臓器の細胞に分化することも報告されています。多くの皆様のご支援を受けて竣工した新研究棟で、私たちは今後10年全力で研究を進め、iPS細胞に立脚した新しい医学を生み出したいと考えています。
講演テーマ
数学の新展開—伝統的理論と新しい応用の架け橋—
講演要旨
私が現在の主たる研究テーマであるグラフ理論に出会ったのは高校生の時でした。私は、幸運にも高等学校に新しく設置された数学の特別クラスに入ることができました。そこでは、多くの優秀な生徒(その中には現在の私の妻もいましたが)に知り合っただけでなく、かの有名な数学者、ポール・エルデシュ先生が何度か学校に来られたのです。先生は生徒たちに未解決の難問を与えたのですが、私は1問か2問を解くことができました。それがきっかけとなって、私の生涯にわたるグラフ理論と数学研究との関わりが始まりました。当時、グラフ理論は、数学の「主流」からは隔離されたような分野でしたので、のちになって、先輩の数学者からは、もっと重要なことをやるべきだと、たびたび忠告されました。それでも、私は、学問分野の新しさと、その応用の可能性に魅了されていました。 学生時代の終わりころには、オペレーションズ・リサーチとグラフ理論の強い関係に関心を抱くようになりました。私はパーフェクト・グラフに関するある問題を解きましたが、その解法は、整数計画法の興味深い結果をもたらし、多面体へとつながりました。私は、グラフ理論と、最適化と、そして幾何学との間の関係が非常に実り多いものであることを幾度となく確認しました。 その後まもなく、私は、新しい理論であるアルゴリズム的複雑さを学びました。それはグラフ理論に多くの結果をもたらしました。これにより、私は、計算理論とその数学的基盤である(グラフ理論を含む)離散数学が共に素晴らしい発展を遂げていく目撃者(そして、少しはその当事者)になりました。 グラフ理論は、また、新しい理論とは反対方向にある伝統的数学とも関連があります。そして、私は、グラフ理論の問題を解くための伝統的数学の手法の問題に魅了されました。例えば、代数学、トポロジー、幾何学、そして確率論が、興味深い手法でグラフ理論に適用できる分野です。 最近では、私は、(インターネットのような)巨大ネットワークの理論に関心を持つようになりました。これは、グラフ理論に新たな進展を生み、ここでは伝統的数学の今以上の分野が必要とされるようになります。私は、学生時代に習って以来、疎遠となっていた分野を改めて学ばなければならないのですが、それを大いに楽しんでいます。
講演テーマ
この世界とともに—ヨハネスブルグ物語—
講演要旨
見るという行為は、構築の行為でもある。 私は、生まれてからずっとヨハネスブルグに住んでいて、学校、大学、住居、家屋、スタジオ、それらのすべてが、相互に半径6キロメートル以内にあります。私の作品は街のイメージを描き、街の歴史の影響を受けています。本日の講演では、街の歴史と美術家として成長していく自分自身の歴史という2つの歴史をたどります。つまり、私のイメージ創造への姿勢における重要な要素が、どのようにして50年以上にわたるこの街での具体的な成長体験から生まれてきたのかを明らかにします。 ヨハネスブルグは、隠されたもので特徴づけられる街です。この街の「存在意義」は、地下に埋蔵されている金です。街は掘削で作られ、景観は鉱山とその屑山で形作られています。私の素描の特徴である連続した変化と消し跡は、この街を理解するための掘削と考古学の反映でもあります。終生にわたる素描活動は、ずっと住み続けてきた街を理解するためのプロセスとなっています。また、この街は、他のゴールドラッシュに見舞われた街と同様に、移住者による国際色豊かな街でもあります。この街の大きな強みと2人の偉大な市民であるマハトマ・ガンジーとネルソン・マンデラの存在は、歴史、文化、そして知性が混在することの強さと必要性を証明しています。世界の中で矛盾し雑多なものから意味あるものを創り出すという行為は、私が映像と物語の両方を結びつける方法にとって不可欠であり、誤解と誤訳のもつ生産的なパワーについての私の確信を例証しています。 変遷する街の政治史を振り返りますと、当面の、そしてより大きな世界が、決して与えられるものではなく、常に作り変えられるものであることが解ります。この世界は、現実の場所というより、暫定的で変化する場所であります。この消すことと変化させることは、私の作品の中核を成しています。 講演では、個人的なこと、家族のこと、そして私の世界観の美術的構築に触れ、どのようにして、私という人物が、この世界で経験したことによって形成される一方で、それによってもう一つの世界を作っているのかを追いかけてみたいと思います。