第19回(2003)
2003年
11 /11 火
会場:国立京都国際会館
第19回(2003) 京都賞受賞者
講演テーマ
みんな我が家族—研究者を指導して
講演要旨
研究とは、きわめて有用かつ重要な営みです。自然科学や工学における研究は、自然界を理解し、巧みに利用することを目的としています。こうした試みが最高の形で結実すると、個人や社会を利する問題解決策が生まれます。しかし、社会が抱える問題が困難の度合いを増すにつれて、その解決策を見出すことはより難しくなります。 研究とは、人間の営みでもあります。それを行うのは、様々な経歴、スキル、関心を持った人間の集合体です。研究者も生身の人間であり、最高の仕事をするためには、最高の環境、つまり、仕事仲間、研究資金、現実的な目標が欠かせません。 大学の研究活動は、問題の理解を促し、実用的な解決策を導き出す、産学官の研究体制において重要な役割を果たしています。次世代の研究者育成においても、大学は独特な役割を担っています。けれども大学で行われている研究は、知識の探求に主として重点が置かれ、そうした知識を実際に生み出す人に脚光が当てられることはほとんどありません。 研究、そしてそれを行う研究者のどちらもが大事なのです。大学が今以上に、研究活動の人間的側面に注目すべきであると私が考える理由は3つあります。1つは、そうすることにより、経歴や専門の異なる研究者グループの共同作業が求められる研究を直接強化できること。2つ目は、あらゆる種類の研究の環境改善につながること。3つ目として、長期的には、大学の研究スタイルを「1人の学生が、1人の教授を指導者に、1つの課題を与えられ、1つの論文に取り組む」式の従来型モデルから、「多くの研究者と連携する」、より広範かつ柔軟なシステムに変えていくことができます。こうしたシステムにより、複雑な問題に対して取り組みやすくなり、また、より創造力豊かな研究者が生まれるのです。
講演テーマ
好奇心にあふれた我が人生
講演要旨
子供の頃、例えば蒸気エンジンの不思議な話をしてもらった時は嬉しかったものです。「押したり引いたり」という、子供にとってわかりやすい言葉のおかげで、蒸気エンジンのしくみがすぐに理解できました。また、両親は、顕微鏡を買ってくれたり、たくさんの本を読んでくれたりして、好奇心を満たしてくれました。16歳の時、私は学校で1年間物理を勉強し、自然界のあらゆる現象の根底に物理が存在することを知りました。そして、生涯かけて物理の研究を続けようと心に決めたのです。やがて私はミシガン州立大学で物理学と数学を学び、1948年に卒業しました。その後、カリフォルニア工科大学大学院へ進み、1951年にそこで博士号を取得したのです。 今から50年ほど前に私が物理学の研究を始めた頃、技術や機器の進歩により、地球物理学、宇宙物理学、天体物理学、銀河物理学の分野で誰も予想できなかったほどの発展が見られました。その頃にはすでに、地球の磁場が地球の対流する液体鉄の核によって形成されたことがはっきりとわかっていました。ほどなくして、太陽の磁場の姿が明らかになり、宇宙線の主成分は陽子であることが解明され、さらにその強度変動が測定されました。そして、物理学者を目指す者が取り組むべき問題のすべてがそこにあったのです。多くの難題が科学的に解明されていく様子を何年にもわたって実際に目にすることができたのはありがたいことでした。そして、今日でも解明すべき謎は残されており、私たち科学者はその解決に挑戦しているのです。不思議な現象が新たに発見されても、依然として私たちの能力ではその本質をほとんど解明することができません。理論物理学の進歩をもってしても、黒点の起源、太陽ダイナモの性質の詳細といった以前からの謎には、長い歳月を経た今もなお解明されないままのものがあります。また、太陽の活動に見られるマウンダー極小期や、太陽の磁気活動全般と地球気候のきわめて密接な関係といった難問も見つかっています。この点は、今日、地球温暖化との関連で重要な問題となっており、地球温暖化について私たちに賢明な選択ができるとするならば、この星の気候を形成する様々な要素についてもっと詳しく知っておく必要があります。私たちの行く手には、考えなければならないこと、測定しなければならないこと、観察しなければならないことが山ほどあり、いつになればすべての謎が解明されるのか検討もつきません。今後も私たちの好奇心をかきたてる謎は、果てしなく生まれ続けるのです。
講演テーマ
文楽の男
講演要旨
男の社会は、どんな分野でも競争がある。その結果、「ねたましい」とか「うらやましい」とか、羨望と嫉妬の感情が渦巻く。それは女性以上とも思われる。文楽の世界も、例外ではないだろう。 ところが、吉田玉男師の芸歴をふりかえってみると、そんなことには無縁、とも思えるほど恬淡としている。なぜか。 玉男師が「僕は要領がいいと人から言われている」と、みずから話された時、思い当った。要領がいいということは、できるだけ無駄をはぶき、仕事に集中して、脇見をしない、ということでもあったのだ。 玉男師は器用な人ではない。お上手も言えない。その結果、仕事―つまり人形を遣って、いい芸を見せて、客を楽しませること、そのことだけ精一杯やるしかないと心に決め、その信念を貫いてきた結果ではなかったか。耳なじんだいい名跡を継ぐことなど、玉男師にとってどうでもよいことだったかもしれない。そこが、たまらなく美しい。 玉男師の人形は、役の性根の解釈が行き届き、控えめな動きの中に、上品な色気がある。そして今や、その「品位」が「品格」の域にまで高められている。文楽のかしらにたとえれば「孔明」がぴたりで、思慮深い。 「文楽の男」は、玉男師そのものであり、また、玉男師が遣う役にもあてはまる。本日の講演会では、文楽と共に歩んでこられた玉男師の人生観を、玉男師のやわらかなお人柄と雰囲気と併せて、できるだけ皆様に紹介することを心がけたい。 (聞き手・文) 山川 静夫