第18回(2002)
2002年
11 /11 月
会場:国立京都国際会館
第18回(2002) 京都賞受賞者
講演テーマ
私の人生と冒険—生物学と技術の統合
講演要旨
研究者として私は2つのことを目指してきました。1つは最先端の生物学の研究を行うこと、もう1つは生物情報解読の妨げとなっていた障壁を取り除く技術を 開発することです。この2つを同時に行うという試みは困難を極めました。今こうして人生を振り返ってみると、生物学者としての私のキャリアに直接、間接的 に影響を与えた個人的関心、人生の選択などが思い起こされます。つまり、私がアウトドア派でスポーツ、運動が好きだったこと、音楽を演奏したり聞いたりす ることが好きだったこと、コミュニケーション力の重要性を早い段階から認識していたこと、教えることが好きだったこと、本を読んだり物を書いたりするのが 大好きだったこと、いつも自分で考え行動していたこと、科学技術に関心があったこと、そして研究機関の管理体制を改革していくリーダーシップの才覚があっ たことなどです。講演では子供の頃の話に加えて、進路決定の経緯、若い頃の職業選択の話などをいたします。また、これまでの研究成果を紹介するとともに、 そうした成果が、現在私がシアトルのシステム生物学研究所で行っている「システム生物学」という生物学への新たなアプローチや予知医学、予防医学といった 新しい考え方の医療の確立に向けた研究とどのように結びついているのかについてお話しします。さらに、こうした「新たな生物学」がもたらす倫理、社会、法 律面での課題について触れ、社会一般で行われる科学教育がその解決に重要な役割を担っているということを訴えたいと思います。これに関連して、現在、シス テム生物学研究所が幼稚園から高校までを対象として行っている科学教育プログラムについても触れます。最後に、研究者の社会的責務に関する私の私見、ま た、全人類が直面している課題、そして未来に拡がる可能性についてお話しします。
講演テーマ
空間のイメージを超えて
講演要旨
空間のイメージを超えて;私たちは数学者がユークリッド空間と呼ぶ3次元空間に住んでいます。この名前はアレキサンドリアの幾何学者であったユークリッド に敬意を表してつけられたものですが、彼は、2000年以上も前に、私たちの持つ直感的な空間のイメージを公理としてリストアップしようと試みました。し かし、20世紀、特にベルンハルト・リーマンの仕事以降、空間の概念はユークリッドの原点からどんどん離れて発展し続けています。それは当初、純粋数学の 必要からでしたが、その後、他の科学、まずは物理、続いて化学、生物学、経済学の発展によって促進されてきました。数学やその他の科学で出会うほとんどの 空間は、3次元空間の中で視覚化することができません。曲線や曲面というようなものではないのです。したがって映像的なイメージとして私たちに入ってこな いのです。たとえ、そのような空間がユークリッド空間に密接に関係していて、私たちが生活のあらゆる瞬間にそれらに依存していたとしても、私たちはそれら を認識していません。それどころか、私たちはその動作の間、それらに気づくことなくそれらの性質を利用しているのです。(泳ぐ魚が水の存在に気がつかない のと同じことです。)では、どのようにしてそのような空間を理解できるのでしょうか。どのようにして研究すればよいのでしょうか。私たち幾何学者は、その 想像力を持って得た知識をいかにして機械に伝えればよいのでしょうか。例えば、動物や人間のような敏捷さを持って空間を移動する能力をロボットにどのよう にしてつけるのでしょうか。私たちの助けとなるのは、そして私たち幾何学者が日常の空間のイメージをはるかに押し広げて、現代の幾何学を構築し続けていく ことができるのは、私たち生命の持つ視覚や運動系の中に無意識のうちに潜んでいる空間の感覚の驚くべき柔軟性といえるでしょう。幾何学のある種の分野を研 究することは自転車に乗ることを学ぶのによく似ています。最初はとても困難に見えるのですが、学んでしまえばどうということはないのです。ただし幾何学の それといえば、積み上げた自転車に曲乗りするようなものです。この講演では、皆さんにシンプルな自転車操縦法をお教えするつもりです
講演テーマ
21世紀の環境を考える
講演要旨
京都といえば、若い頃見て歩いた古建築の次に思い起こされるのが「京都議定書」です。これは、1997年の地球温暖化防止京都会議で採択された、先進国の温室効果ガスの排出抑制・削減目標を定めた国際的合意文書です。 戦後の日本人は、アメリカ型の消費文明に憧れを抱き、大量生産・大量消費型の社会システムを築こうと努力し、それに成功しました。しかし、それは、大量廃棄を伴うものであり、実は限りある地球の中で存続し得ないものであったわけです。 近年やっと消費社会の矛盾に気付いた先進国が、京都議定書をつくり、明日の地球環境に向けての積極的な提案を、全世界にむけて発信できるかと思って いたのですが、批准に至っていないのはとても残念です。経済活動の抑制につながるとの懸念から各国の意見が分かれているわけですが、もっとも大切なのは、 経済よりも、人々が生きていく環境ではないでしょうか。 私は、初期の仕事である「住吉の長屋」から、比較的大きな規模の近作に至るまで、自然とともにあり、自然の力を生かし、その場に残された古いものを 生かすよう計画してきたつもりです。その理念は近年語られ始めたサステイナブル建築と方向性は等しいと思います。しかし、真に持続可能な建物とはもっと先 にあるものなのでしょう。これからも循環型社会のための建築のあり方をより真剣に考えていきたいと思います。 私は、弁護士の中坊公平さんとともに発起人となり、近代文明のつけを背負うようにして、緑を失い汚された瀬戸内海沿岸に、オリーブをシンボルツリー としてその場の植生にあった樹木を百万本、寄付を募って植えていこうという運動を始めました。この基金を通して、瀬戸内海の島々が少しでも元の姿に戻り、 子どもたちが、自分たちの手で命あるものを育て、環境をつくっていくのだという意識をもってくれたらと思います。 いま我々のすべきことは、未来の子どもたちのために、袋小路ではない、循環型の社会の見本をつくり、手渡すことではないでしょうか。そのために私も自らの職業を通して努力したいと思います。