科学や技術、思想・芸術の分野に大きく貢献した方々に贈られる日本発の国際賞「京都賞」。受賞者の方々は、道を究めるために人一倍の努力を重ね、その業績によって世界の文明、科学、精神的深化のために大いなる貢献をしてきた人たちです。「京都賞再耕──じっくり味わう受賞者のことば」の連載では、これまでの京都賞受賞者へのインタビューを通して、記念講演会で語られた言葉をさらに掘り下げ、独自の哲学や思考プロセス、探求者の姿勢などに迫りたいと思います。今回は2014年に基礎科学部門で受賞した、エドワード・ウィッテン博士にお話を伺いました。
「京都賞再耕」のこれまでの記事
#01 國武豊喜博士 「抽象化」と「具体化」を往来するなかで突破口が見えてくる
#02 三村髙志博士 「役に立つ」とは、圧倒的多数の人に必要とされて喜ばれること
#03 金出武雄博士 「なぜこの研究をしているのか」に立ち戻る習慣が本質到達への鍵となる
#04 坂東玉三郎丈 言葉にはならない大事なものは、人と人が出会うなかでこそ伝えられる
#05 グレアム・ファーカー博士 生態系の一部としての私は「森の古い木」として存在している
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エドワード・ウィッテン(Edward Witten)
理論物理学者。プリンストン高等研究所教授。1995年、超弦理論をひとつに統合する仮説M理論を提唱した。2016年、アルベルト・アインシュタイン世界科学賞を受賞。また、純粋数学においても数々の新しい理論を生み出し、1990年には数学において最も権威あるフィールズ賞を受賞している。 さらに詳しく
西村 まずは、この記事の読者に向けて簡単な自己紹介をお願いいたします。
ウィッテン プリンストン高等研究所の教授をしています。私は素粒子物理学を専攻しました。自然界の最も基本的な力を理解しようとする試みを、現代においては素粒子物理学と呼んでいます。現代の私たちが物理学から得た最も優れた知見は、原子、分子、そしてそれらを構成している素粒子の量子力学を基盤としています。
私の興味は、自然の法則を出来る限り深く理解することです。重力理論と量子論の両方を統合して、より良い理論を作っていくことに最も深く興味をもっています。
学生時代、私は特に「なぜクォーク*1 が原子核に閉じ込められるのか」という問いに惹かれていました。当時の私の夢は、クォークの閉じ込めに何らかの説明を加えることでした。しかし、その問いは難しすぎました。あれから45年たった今でも、この問題についての理解は十分とは言えません。定性的には理解できるようになりましたが、私が夢見ていたような定量的な理解には至っていません。私が解明したいと願っていた問いは、今も難題のままです。
西村 必ず解明したいと強く願った問題が「難しすぎる」ことに気づき、諦めるという選択をするのは、すごく苦しい選択のように思います。その選択を自ら受け入れて、成果を出せるレベルの問題を設定することも、非常に複雑で難しいことだったのではないでしょうか。なぜ、そのような選択ができたのかについて、伺ってみたいと思います。
ウィッテン 研究において最も難しいことは適切な問いを見つけることです。その問いは、自分に解けるものであると同時に、自分が興味をもち続けられる難しさと面白さも必要だからです。適切な問いの設定については、私だけでなくすべての研究者が「次はどんな問いに取り組もうか」と考え続けていると思います。
「なぜ、当初のクォークの閉じ込めの解明を断念して、他の問いを見つけられたのか?」ということですが、やりたいことができなかったので、そうする以外の選択肢がなかったのです。しばらくもがいていると、他に取り組まざるを得ないことが次第に出てきます。結局のところ、そうして自分にできることをやったということです。
もちろん、最初は、比較的簡単な小さなプロジェクトに取り組んでいました。しかし、次第に大きなことができるようになっていきました。やがて私は、より数学的な方向へと進んでいくことになりました。というのも、基礎物理学が進歩したことで、新しい問いと機会が開かれていったからです。物理学では新しい数学的な問いが生まれ、物理学を応用して数学の問いに答えていくチャンスも生まれました。次第に私は、これらの新しい分野で、自分がより影響力のある研究ができることがわかってきました。
西村 物理学は自然の法則を考えようとし、数学は何かを数字という言語で表そうとします。その数学が数学のためでなく、物理学が解明しようとする自然の法則を書き表すために使われていることがとても重要に思えます。
ウィッテン 物理学における数学、数学における物理学がもつ力の大きさは驚くべきものです。物理学と数学のつながりについては、現代物理学黎明期のガリレオ・ガリレイも、数学は自然の法則を表す言語であることに気がついていました。さらに言うならば、その半世紀後にアイザック・ニュートンが万有引力の法則を理解するために微積分法を考案した時にも同じことに気づいていたはずです。
数学者たちは、多くの場合、自分の研究テーマは独自のものであり、自然の要素は必ずしも必要ではないと思っています。しかし驚くべきことに、重要な数学的原理が自然の中でも役割を果たしていることが判明することもあり、時に、数学者たちの発見は、数学的原理が実際に自然界で果たしている役割に影響されていることもあるのです。
西村 ウィッテン先生もまた、研究のなかで物理学と数学がつながっていくご経験をされてきたのではないでしょうか。その経験を通して、自然に対する先生ご自身の理解に何が起きたのかを聞いてみたいです。
ウィッテン 私の研究生活の中で、物理と数学の関係に大きな変化が2回ありました。ひとつ目は私がこの分野に入って間もない頃で、ふたつ目はのちに弦理論が出てきた頃です。私がこの分野で研究しはじめたのは、素粒子物理学者たちが、現在、標準模型と呼ばれるものを考案したばかりの時でした。標準模型の理解には、新しい数学的な考え方が必須になりました。そのため、物理学において、数学の領域におけるこれまでにない問いが重要になりました。
しかし同時に、標準模型を理解するために、物理学者は場の量子論*2 をより深く理解しなければなりませんでした。場の量子論の理解は進み、数学者が興味を持っていた問題に答える数学的なツールとしても使えるにまで至りました。つまり、標準模型の研究は、数学と物理学の関係を2つの意味で変えたのです。まず、物理学者は、それまで必要としていなかった数学的な考え方を必要とするようになりました。そしてふたつ目に、場の量子論の理解が深まるにつれ、それをツールとして使い数学的に興味深いことができるようになり、時には数学者たちを驚かせるようなことができるようにもなりました。
私が研究生活を送る中で起きた、数学と物理学の関係におけるふたつ目の大きな変化は、弦理論によるものでした。弦理論は、私が学生だった頃にはすでに知られていましたが、基本的な自然の法則を理解するための面白い枠組みとして理解されるようになったのは、1984年か85年のことでした。 1984年以降、弦理論を使って、より面白いことができるようになっていきました。この頃になると、弦理論は、重力と量子力学の関係を理解したり、自然界の力を統合したりするための興味深い枠組みとなっていたのです。
標準模型が物理学と数学の関係に与えた影響がどんなものであったかについてお話ししたことは、すべて弦理論にも当てはまります。弦理論を使えば、数学的にもっと面白いことができるし、弦理論を理解するためには、数学の理解がより必要でした。つまり、私が語った、標準模型をめぐって起こったことは、弦理論をめぐる物理学と数学の関係に関しても、幾重にも言うことができるのです。
西村 今のお話を伺っていると、数学が宇宙、自然と人間をつないでくれる通訳みたいな役割を担ったように思われます。さきほど、数学には自主独立で外界からの刺激を必要としない側面があると言われましたが、ウィッテン先生はそのように数学を見ておられなかったのだと思います。そもそも、なぜ数学という学問は自主独立であり外界との交流が少ないものになりやすいのでしょうか。
ウィッテン 数学は、美しく論理的な構造を解明していく学問です。その構造は社会的文脈に即したものではなく、必ずしも現実世界のものである必要もありません。数学は、いわば自主独立であり得るのだと考えています。ただ、いつも驚かされるのは、数学者たちが自主独立なものとして解明してきた美しく論理的な構造が、結果的に自然界を理解する上で重要で有益あることがわかってくることです。その驚きがどれほど続いていくかは、私たちにはわかりません。
西村 数学が解き明かしていく美しい構造を、ただ美しいものとして見るだけでなく、世界を理解するために使えるものにするためには、どのように考えていけばよいと思われますか?
ウィッテン 「どうしてそれが起きたのか?」を説明するのは難しいのですが、「何が起きたか」についてお話ししてみましょう。
数百年に渡り、さまざまな物理学の理論が数学に用いられ、ときには物理学における必要性から数学の新しい構造が考案されてきました。数学者たちが、なんらかの方法で構造を発見したこともあります。
いくつか例を挙げてみましょう。ひとつは、さきほどお話ししたようにニュートンは万有引力の法則を理解するために微分積分法を考案しました。ふたつ目の例として、アインシュタインは250年後にニュートンの万有引力の法則を改良する時、それまで物理学者たちには馴染みのなかったまったく新しい数学的概念を必要としました。そこで必要になったのがリーマン幾何学、つまり高次元の湾曲した空間の理論でした。幸いなことに、この理論は19世紀半ばから数学者によってすでに発展してきていました。
3つ目の例は、古典物理学と量子物理学の両方における波の理論です。波動を理解するために、数学者は偏微分方程式や関数解析の研究を発展させてきました。これらは、現代数学の基盤となるテーマですが、多くは、物理学に資するところが大きいがために、研究されるようになったのです。
なぜ物理学が数学の深い知見とこのように関連しているのかは説明できないのですが、これらの例は、物理学の新しい理論には新しい数学的理論が必要になる傾向があるという事実を示しています。ときには、物理学における必要性から新しい数学理論が発明される場合もありました。また、すでに数学的理論は存在していたにもかかわらず、それ以前は物理学者たちがそれを利用できることに気づいていなかったこともあります。
西村 ウィッテン先生が大学院生だった1970年代から約50年が経ち、物理学が大きく発展したことによって、宇宙への見方はどんな風に変化してきたのでしょうか。
ウィッテン 私が学生だった頃、まだ標準模型はできたばかりで、理解されはじめたところでした。場の量子論をより深く数学的に理解できるようになったという私が話してきたことも、当時はすべて未来の話でした。自然の法則の統一理論がどのようなものであるかを、少し垣間見ることさえ、すべてまったく未来の話でした。確かに、人間の弦理論の理解はいまだ不十分ですし、それが正しいことも確約できません。しかし、弦理論は、すべての力の統一理論となり得る、素晴らしいものの片鱗を見せてくれます。弦理論の研究は、現在に至るまで、驚くべき美しい発見の連鎖をもたらしています。
さきほど説明したように、私が学生の頃は、場の量子論について、現代的に理解する試みが始まったばかりでした。それは完全に「アバンギャルド」ともいうべきものでした。その後の数十年で弦理論が本格的に発展してきたことで、私の学生時代には何が統一理論になるのかがまるでわからず、手の届かなかったことについても考えられるようになったのです。
杉本 京都賞を受賞されたときのインタビューで「問題の大小に関わらず、解けるということが素晴らしい」とお話しされていました。冒頭のお話とも関連するのですが、自分に解ける問いの難易度、そして自分の興味を惹きつけ続けるかどうかを、どのように見極めておられるのでしょうか。
ウィッテン それが適切な問いであるかを知るのは難しいことで、その問題が解けなかったのであれば、適切な問いではなかったのでしょう。しかし、たとえうまくいかなかったとしても、挑戦しているうちに有益な経験をすることもあります。たいてい、問いに答えられるかどうかは、実際に答えてみないとわかりません。何が正しい問いなのかは、やってみて初めてわかることが多いのです。多くの場合、さまざまなことを試してみる必要があります。
先にお話ししたように、私も研究者としてのキャリアの初期に、クォークの閉じ込めに非常に執着した時期がありました。ですが、あまりに難解だったため、あきらめて別の問いに取り組むしかありませんでした。ただ、研究の基本として、どんな問題も取り組んでいくうちに難しすぎることがわかる可能性があるのです。ですから、自分が取り組む問いに対して、少し柔軟に考えなければなりません。あまり先入観を持ちすぎると、いろいろ失敗することもあります。
杉本 適切な問いの設定をするには、自分自身の能力を見極めることも必要だと思います。ウィッテン先生は非常に優れた研究者です。ご自身の能力をよく理解されているからこそ、難解な問いをあきらめることがかえって困難だったのではないかと想像します。こうしたご自身の葛藤については、どのように経験を積んでこられたのでしょうか。
ウィッテン 私は常にたくさんの困難を抱えています。ものごとを正しく理解していなかったこともたくさんありますし、キャリアのなかで最も重要な問いに取り組まなかったときも多くありました。あるいは、できないことに取り組んだり、できたはずの問いに気づかなかったこともあります。考えられる限りの方法で、間違いを経験してきたとも言えるでしょう。断言はできませんが、他の研究者も同じようなことを言うのではないでしょうか。もしかしたら、常に自分にとって最善の問いを見つけられる幸運な人もいるかもしれませんが、私の場合はそうではありません。どうしたらいいのか、迷うことも多いのです。
西村 良い問いに出会う幸運を高める方法はあるのでしょうか。
ウィッテン ひとつの答えとしては、他の人が取り組んでいることに注意を向けること、そしてその問いに耳を傾け、優れたアイデアを得るための刺激とすることです。
自分の興味に近い分野だけでなく、もう少し離れた分野にも目を向けると良いでしょう。しかし、自分の興味の範囲を超えすぎてもいけません。なぜなら、世界は広すぎるからです。他の領域で生まれている新しいアイデアに注意を怠らないことも大切ですが、あまりに離れた領域にまで興味を広げ、世界で起きていることをすべて見ようとすると、道に迷ってしまいます。大事なのは、自分の領域に集中しながらも、オープンであり続けることです。
西村 他の領域に興味をもって道に迷ったときに、自分の領域に戻ってくるにはどうすればよいのでしょうか。ウィッテン先生は、道に迷ったときにどうやって自分の歩むべき道を思い出してこられたのですか。
ウィッテン 他の研究者の仕事を知ることが、自分の研究の新しい方向性を見出すきっかけとして作用することもあります。それによって、私の研究が元の地点に後戻りすることはないでしょう。
西村 他の研究者の問いに興味を持つことで、ご自身のテーマが深まっていくという感覚でしょうか。根源的な問いだからこそ興味をもち続けることができるし、道に迷ったとしても戻ってくることができるのかなと思いました。
ウィッテン 一つひとつのエピソードは異なっています。他の研究者の仕事を知ったことで私の方向性が変わったこともありますし、自分のもっていた問いの解決につながったケースもありました。すべてが違うので、あまり一般化はしません。結局、自身の問いに戻って来るのは、それらがまだ解決できていない問いであるからです。解決できれば、先に進んでいくことになりますから。
西村 もうひとつ、ウィッテン先生に聞いてみたいことがあります。人は何かを理解することによって、より良い関わり方ができるのでしょうか。たとえば、自然への理解が深まると自然とのつきあい方が変わったり、宇宙を理解すると宇宙とのつきあい方が変わったりする可能性はあると思われますか。
ウィッテン 科学は、テクノロジーの発展によって私たちの生活のあり方を変えていきます。また、私たちの世界に対する認識をも変えてきたと思います。この世界は7日間で創造されたのでしょうか?数百年前には、欧米の多くの人がその言葉通りに信じていました。しかし今は、それはひとつのメタファーであり、事実ではないと理解されています。私たちが生きる宇宙の始まりを理解したいのであれば、科学はすべての問いに答えることはできないまでも、他の方法では理解できない多くのことを教えてくれます。
西村 これから、宇宙への理解がさらに進んでいくと、宇宙がはじまる前と終わった後について、僕たちは知ることができるようになるのでしょうか。
ウィッテン 今の問いに答えるのは非常に難しいと思います。答えが何であるか、我々に可能な観測方法にもよるでしょう。それを知るには、やってみるしかありません。最初から「何ができるか」を知ることができないのです。
西村 「宇宙がはじまる前ってあるのだろうか」というような非常に大きな問いに取り組むとき、まず最初にやるべきことをどう設定すべきだと思われますか。
ウィッテン 繰り返しになりますが、研究において大きいジャンプをしようとすると、多くの場合うまくいきません。私自身の経験においても、大きすぎるジャンプをしようとした時には、成功しませんでした。大きなジャンプをするには、たとえば4〜5のステップに分けて進んでいかなければいけない。そのうち、ひとつのステップでも抜けてしまうと、迷ってしまって、目的にたどり着くことができないでしょう。アインシュタインは、相対性理論を何もないところから考案しました。でも、私自身は1ステップで、大きなジャンプをすることはできません。
西村 ステップを踏んで進んでいるときと、同じところで足踏み状態になってしまうときがあると思います。進んでいるときと足踏みになるときの違いはなんでしょうか。
ウィッテン どのような分野を研究しているかに関わらず、柔軟性を持ってチャンスを探し、自分が参入できるところを見つけてください。自分ができそうだと考えるテーマに対し、先入観を持ちすぎないことも大切です。多くの場合、貢献することができるテーマは、当初考えていたものとは違ってくるものです。
これは今の私自身に向けたアドバイスでもあります。今、私はどんなテーマに取り組むべきかが定まらない状況にあります。私が今、最も期待を寄せているのは、他の物理学者による研究や、量子論と重力理論に関する新しい考え方です。私がどのような局面で貢献できるかを考えるのは、なかなか難しいことですが。
現在の科学の状況は、私が学生だった頃とは変わりました。何年も前に取り組んでいた未解決の問題に再び向き合おうとしても、全く同じものではなくなっているでしょう。たくさんのことがわかってきているのですから。
西村 現代のニュートンに出会うような時間でした。大きな問題を考え続けるために、一つひとつのステップを踏むとおっしゃっていたことが非常に印象的でした。今日は本当にありがとうございました。
*1. クォーク 物質をつくる最小の単位と考えられている素粒子のグループのひとつ。クォークを単独で取りだすことはできないという物理現象のことを「クォークの閉じ込め」という。クォークには6つの種類(フレーバー)が存在するが、陽子(アップ2つにダウン1つ)、中性子(アップ1つにダウン2つ)、中間子(クォークと反クォーク)のように特定の組み合わせでしか存在できない。ちなみに「クォーク」という名前は、ジェイムズ・ジョイスの小説『フィネガンズ・ウェイク』に出てくる鳥の鳴き声に由来する。
*2. 場の量子論 電場や磁場のように、ある点、ある時刻における物理量を「場」というが、その場を量子的に調べる理論のこと。
受賞当時に開かれた記念講演会を下のYouTube動画でご覧いただけます。
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〈インタビュアー略歴〉
西村勇哉(にしむら・ゆうや)
NPO法人ミラツク代表理事。大阪大学大学院にて人間科学(Human Science)の修士を取得。セクター、職種、領域を超えたイノベーションプラットフォームの構築と、年間30社程度の大手企業の事業創出支援、研究開発プロジェクト立ち上げの支援、未来構想の設計、未来潮流の探索などに取り組む。 国立研究開発法人理化学研究所未来戦略室 イノベーションデザイナー、大阪大学社会ソリューションイニシアティブ 特任准教授。 NPO法人ミラツクのウェブサイト
〈ライター略歴〉
杉本恭子(すぎもと・きょうこ)
フリーライター。同志社大学大学院文学研究科新聞学専攻修了。アジール、地域、仏教をテーマに、研究者、企業経営者、僧侶、まちづくりをする人たちへのインタビューに取り組む。『京大的文化事典 自由とカオスの生態系』(フィルムアート社)著。 writin’room