Nam June Paik
第14回(1998)受賞
美術(絵画・彫刻・工芸・建築・写真・デザイン等)
/ メディア・アーティスト
1932 - 2006
「ビデオ・アート」という新しい表現形式を現代美術に導入し、それをコンピュータなどの電子メディアを使った「メディア・アート」に育てることによって、現代人に夢とビジョンを与え、新しく豊かな創造の世界を開いたハイテクノロジー時代を代表する美術家である。
[受賞当時の部門 / 対象分野: 精神科学・表現芸術部門 / 美術(絵画・彫刻・工芸・建築)]
ナム ジュン・パイク氏は「ビデオ・アート」という新しい表現形式を現代美術に導入し、それを「メディア・アート」に育てることによって、現代人に夢とビジョンを与え、新しく豊かな創造の世界を開いたハイテクノロジー時代を代表する美術家である。 パイク氏は1960年代に、テレビモニターを使用したパフォーマンスを開始し、インター・メディア・アートのグループ「フルクサス」に参加、ジョン・ケージ、マース・カニングハムらとビデオ・アートを制作し、その分野の第一人者となった。その後も数多くのインスタレーションを手がけ、現在のメディア・インスタレーションの先駆けとなっている。
テクノロジーがこれまでもっぱら便利さや経済効率といった実利主義的な面において追求され、私達の感覚や受容器のシステムを変えつつある現在、パイク氏はテクノロジーはアートによって人間化される必要があるとして、一方的に私達に与えられるメディアであったテレビを、人間の表現の手段へと逆転させた。 衛星放送を使ったリアル・タイムの双方向通信プロジェクトもここから生まれた。1984年、その最初の試み「グッド・モーニング・ミスター・オーウェル」では、ジョージ・オーウェルが小説「1984」の中で近未来管理社会を予言したのに対し、パイク氏はメディアによる管理を打ち破り、新しいコミュニケーションの手段とする方法を提示した。また、1986年、ニューヨーク、東京、ソウルを結んだプロジェクト「バイ・バイ・キップリング」では、東洋と西洋は交わり得ないと語ったキップリングに対して、《相容れない西洋》という東洋人の西洋観にも、《理解しがたい東洋》という西洋人の東洋観にも「バイ・バイ(さよなら)」を告げて、地球規模でのコミュニケーションの可能性を追求し、大きな反響を呼んだ。パイク氏が「通信」というコンピューターの最も重要な機能に、科学者たちの対処すらあいまいであった当時から焦点を当て、その可能性の上に、マクルーハンの環境芸術論の実現を志したことは、現代美術のみならず、コンピューター時代に対応しきれていなかった哲学や社会学にも多大な影響を与えた。いわば、インターネットの完璧な雛形を、氏は準備したのである。 祖国の不幸な政治状況下での体験とアジア人としての自己認識から、常に全人類的なコミュニケーションと異文化間における相互理解への希望を追求したパイク氏は、科学技術に哲学的な目的を与えるという芸術の根源的な機能を回復させ、美術表現の多様性の獲得に大きな貢献をしている。よって、パイク氏に精神科学・表現芸術部門における本年の京都賞を贈呈する。
プロフィールは受賞時のものです