Tadao Ando
第18回(2002)受賞
美術(絵画・彫刻・工芸・建築・写真・デザイン等)
/ 建築家
1941 -
東京大学 教授
コンクリート打ち放しの建築に自然の息吹を感じさせる独自の表現によって、近代建築の可能性を極限にまで推し進め、日本を代表する建築家として、世界を舞台に現代建築の可能性を開拓し続けている。
[受賞当時の対象分野: 美術(絵画・彫刻・工芸・建築)]
安藤忠雄教授はコンクリート打ち放しの建築に自然の息吹を感じさせる独自の表現によって、近代建築の可能性を極限にまで推し進め、日本を代表する建築家として、世界を舞台に現代建築の可能性を開拓し続けている。
1941 年、大阪に生まれた教授は建築を独学で学び、1969年に安藤忠雄建築研究所を設立した。「住吉の長屋」(1976年)によって1979年 に日本建築学会賞を受賞し、一躍、建築界の注目を浴びた。これは大阪の庶民住居を通じて住まうことの意味を鋭く世に問う作品であった。そこには伝統的な長 屋の構成を現代に活かし、都市住居に自然の息づかいを取り込みたいという安藤教授の問題提起が込められていた。「タイムズ」(1984年、京都)、「六甲 の教会」(1986年、神戸)、「光の教会」(1989年、大阪)、「直島コンテンポラリーアートミュージアム」(1992年、直島)、「大阪府立近つ飛 鳥博物館」(1994年、大阪)など、その作品群は一作ごとに現代の建築表現に新しい刺激をもたらすものであった。メタル製の仮枠を用いた鉄筋コンクリー ト打ち放しの表現を確立した、直截でありながら叙情的な建築は、世界の建築家から日本建築の特性を現代に活かした作品として評価され、作品の舞台は日本を 越えて拡がっていった。また、「ベネトン・コミュニケーションリサーチセンター」(2000年、トレヴィソ)や、「国立国際子ども図書館」(2002年、 東京)などの作品に見られるように、現代建築と歴史との対話を試みた作品も多い。安藤教授の作品は一貫した思想性と優れた芸術性を持ち、文化圏を越えて広 く世界的な評価を得ている。
安藤教授は、自らの美学をあくまでもモダニズムの中に求めながら現代と建築との関係を模索し、独自の作風を築 いた。彼は建築と自然を融合させること にも熱意をそそぎ、ある場合には建築物を地下に埋没させることによって両者の関係を調停する。自然にとって大いなる異物である建築を、その強さを保ちなが ら自然と融合させる手法には、安藤教授独自のスタイルがある。すなわち教授の建築の強さはモダニズムの質を備え、自然との関係の中には日本建築の伝統が生 かされている。
同時に安藤教授は建築がきわめて大きな社会的事業であることの自覚を強く持ち、積極的に社会活動をも行ってきた。1995 年に起きた阪神淡路大震災 に際しては、震災復興支援10年委員会の実行委員長として支援活動の先頭に立ち、建築家の社会的責任を都市の再生活動の中に活かそうとするきわめてスト レートな姿勢を示した。現在も産業廃棄物による自然破壊をこうむった豊島をよみがえらせるための「瀬戸内オリーブ基金」の運動を続けている。
安藤教授は建築が自然と歴史と文化との対話の中で生まれることを表現し、現代建築の新たな可能性を示すとともに、その活動は社会において建築家が何をなしうるかを指し示している。
以上の理由によって、安藤教授に思想・芸術部門における2002年京都賞を贈呈する。
プロフィールは受賞時のものです