(PR企画:日経サイエンス、取材/執筆:本田 隆行)
「ハワイは1年に数センチメートルずつ、日本列島に近づいている」という雑学ネタを目や耳にしたことがある人は、少なくないのではないだろうか。私たちが住む地球の表面は十数枚の板状岩盤であるプレートで覆われており、人間の感覚からすればとてもゆっくりとした速度で、それぞれがバラバラな方向に動きながらある場所ではぶつかり合い、そして沈み込んでいる。地球表面に起こるさまざまな地質現象の原因をこれらプレートの運動に求める理論をプレートテクトニクスと呼ぶ。前述の雑学はハワイ諸島が乗る太平洋プレートが徐々に日本列島側へと動いているという観測結果を示すものだが、それを聞いてすんなり納得してしまえるほど、日本に住む私たちにとってプレートの存在やプレートテクトニクスの考え方は今や馴染み深いものとなっている。
プレートの動きから今の地質現象を考えられるということは、プレートの動きを逆再生できれば現在に至るまでの地形の変遷や過去の地球表面が辿った環境の変化だって知ることができるはずである。とはいえ、地上には雨も降れば風も吹く。長い年月を経るほどに、当時の地球表面の様子をうかがい知るための情報源となる地層や岩石といった地質学的な痕跡は、とても微かなものとなる。この微かな情報を膨大なフィールド調査と深い洞察によって紡ぎあげ、地球史の前半にまで遡るダイナミックな変動を解き明かした研究者こそ、第39回(2024)京都賞(基礎科学部門)が贈られるホフマン(Paul F. Hoffman)博士である。
今でもホフマン博士は、アフリカの大地をターゲットに研究を続ける。
古代の地球が辿った歴史に対する好奇心が、尽きることはない。
いい論文は歓迎されない
ホフマン博士が行った大きな仕事の一つに、北アメリカ大陸の形成過程の解明がある。1988年、当時カナダ地質調査所の上級研究員をしていたホフマン博士は、業務であるカナダ国内の詳細な調査から得られる地質情報を、過去の膨大な研究結果と比較し考察を重ねることで50ページにも及ぶ大論文を書き上げている。「彼の一番大きな科学的貢献は、プレートテクトニクスの基礎を築いたことです」と話すのは、東京大学大学院総合文化研究科の磯﨑行雄名誉教授だ。
プレートテクトニクスは今でこそ世界的に市民権を得ている理論だが、その前提となる理論や証拠となる観測結果が出揃ったのは1960年代後半と比較的最近である。それもあってか1980年代前半までは、プレートテクトニクスによる過去の地球活動の様子はおよそ5億年前までしか遡ることができなかった。ところがホフマン博士が書いた論文では、約20億年前にプレートテクトニクスによって複数のプレートが衝突・合体することで現在の北アメリカ大陸の中核が形成されたというのだ。大陸の形成・分布をプレートテクトニクスに基づいて地球史の前半にまで遡って考察できるとする論文内容は、もちろん大きなインパクトのあるものだった。ただ、インパクトが強いのは内容だけではない。ホフマン博士は論文の骨子となる考えを“United Plates of America”というキャッチーなタイトルに仕立てたのだ。
この論文、最初に投稿した学術誌では米国をからかったようなタイトルだとして不採用となった一方、次に投稿した別の学術誌では高く評価されて掲載されたという。時を経て、今ではこの論文は多くの研究者から引用される有名な論文となっている。「彼が『Tectonics』という学術誌のチーフエディターをしていたときのことです。私が投稿した論文に対する2人の査読者の反応は両極端なものだったのですが、彼は私に“Minor revisions(軽微な修正)だ”と返してきたんです。後になってこの判断の理由を彼に尋ねると、『新しいことを言う論文は、大体反対されるもの。すっぱり意見が分かれるのは、いい論文の証拠だ』と話してくれました」。もしかすると、自分の体験と重なる部分があったのかもしれないと、磯﨑名誉教授は笑う。
“己”は決して曲げない
すっぱり意見が分かれるのは、なにも論文に限った話ではない。どうやらホフマン博士自身についてもそうらしい。磯﨑名誉教授はハーバード大学に移ったホフマン博士のもとで、1995年から96年にかけて客員研究員として研究をしていた時のことをこう振り返る。「彼は何事にもオープンマインドで強烈な個性の持ち主なので、万人に愛されるというタイプではありません。何に対してもめちゃくちゃ論理的でフェア、そして包み隠さずストレートな物言いをする。相手がどんな人であろうと、接し方に気配りするタイプではないので行く先々でのトラブルは必至です」。裏表なくフェアでロジカル、何にも媚びない姿は真似できないけれど、科学を極める研究者としてはあるべき姿だと磯﨑名誉教授は話す。
磯﨑名誉教授がハーバード大学にいる頃、ホフマン博士はもう一つの大仕事である“スノーボール・アース(地球全球凍結)”についての考えを深めている真っ最中だった。授業のない夏休みになるとアフリカはナミビアの地質調査へと向かっていたという。このナミビアでの地質調査に同行していたのが、岐阜聖徳学園大学教育学部の川上紳一教授だ。1995年から98年にかけて行われた文部省(当時)重点領域研究「全地球史解読」プロジェクトの一環でホフマン博士と接点が生まれたのだという。「私たちの研究課題は、さまざまな地層の“縞”から地球の歴史を探るというもの。ある時カナダのグレートスレーブ湖に浮かぶ島に分布するストロマトライト層について調べたいと、彼に尋ねたのが最初でした」。カナダでのサンプリング調査を行った後、郵便でホフマン博士からナミビア調査の誘いを受けた川上教授らは、1997年夏の調査に同行し岩石サンプリングを行うことになる。「同行調査が終わった後のことです。学会のセッションでナミビアに同行したという話を米国の研究者にするとみんなびっくりしていました。彼が基本的に黙々と我が道を突き進み、自分の仕事に打ち込む一匹狼タイプだからか、よほど衝撃的だったんでしょう」。
(左)ナミビア北西部の原生代後期の堆積岩を調査するホフマン博士。(1997年7月撮影、提供:川上紳一)
(右)退官記念出版物(2015)の表紙になった写真。(提供:磯﨑行雄)
アスリートのような“突破力”
地質調査を行う場所は、険しい地形であることもしばしば。しかしそんな過酷な環境もホフマン博士はものともしないようだ。まるでアスリートのようなしっかりとした体躯に加えて若い頃ボストンマラソンで9位に入ったこともある体力も相まって、とにかくスタスタとフィールドを進んでいく。「フィールドノートとハンマーを手に、すごい勢いで歩いて行くんです。私たちは小走りでついていかないと、とても追いつかない。体力がないとついていけないですよ、あれは」と川上教授は苦笑いする。
ホフマン博士の突破力は、決して体力だけに限った話ではない。調査の際の仕事の進め方もパワフルなのだ。他の国で地質調査を行ったり試料をサンプリングしたりするには、様々な手続きが必要になる。「調査する国の地質調査所から私有地でのサンプリングや採取したサンプルの国外への持ち出しなどに関するいろんな許可をもらうところや、調査機材の受け取りや車のレンタル、食料の調達、現場で行うキャンプに至るまで……。もたつくと調査の時間がなくなるのでとにかくひたすらついていって、どれも助けてもらった。フィールドのやり方も現地での対応も、その場で勘を働かせるというか、とにかく彼は慣れてるんですよ」。
何年にもわたってナミビアで調査を続けていた地層は、ホフマン博士に大きな謎を突きつけていた。氷河があったことを示す堆積物の上に、温暖な海でできるはずの炭酸塩岩の層があるのだ。この場所がとてつもない急激な温暖化を経験しているのか、温暖化を引き起こす原因には何があるのか、その証拠はどこにあるのか。それとも温暖化とは違う由来があるのか。さまざまな相手と議論を重ね、何度も逡巡を重ねて生み出されたのが、1998年に出された“スノーボール・アース”論文だ。地質学的な証拠を重ねて、原生代後期の地球が極から赤道に至るまで丸ごと凍てついたと論じた内容は、多くの研究者に衝撃を与えるものだった。
膨大な情報が支えるシャープな思考
地質学的に地球史を遡るためには、実際の地質調査が欠かせない。しかし、地球上のどこを調査すべきか狙いを絞ることも難しければ、そこまで体を実際に運び、調査すべきフィールドを見極め、そしてそこに見られる岩石や地層から何を読み解けるのかを考え、狙った岩石をサンプリングするための技能は一朝一夕で身につくものではない。
その点、ホフマン博士はとにかくストイックなまでに仕事に没頭していたと、一番近くで仕事ぶりを見ていた磯﨑名誉教授は話す。「フィールドをとにかく攻める人は他にもいるけれど、彼は文献を読みまくってそれらをまとめる能力も持っている。膨大な情報の中から本質を見極めて、芯を鋭くついたことを述べる能力は彼ならでは、です」。実際にスノーボール・アースの論文は、論理がシャープでとても説得力が強かったためか、一部反対派はいたものの学術界を揺るがす大騒動にはならなかった。むしろ多くの研究者が取り組むテーマとなり、2000年代にかけては大ブームとなっている。「元々スノーボール・アースは、彼ではなくカーシュビンク(Joseph Kirschvink)博士が1992年に言及した説ですが、あくまでも可能性の一つとして地球の全球凍結を論じたものです。しかしそれを真に受けて実証したのは、紛れもない彼の仕事です。これは論文を読むだけでなく長年フィールドを見つめてきた彼の勘が冴えた結果なのかもしれないですね」。
ちなみに、ホフマン博士が有する膨大な情報は、何も地質学に関するものだけではない。「週に1回、金曜の夕方くらいは仕事を離れてリラックスしようということでバーに行き、メジャーリーグの中継を見ながらお酒を楽しんでいました。その時に驚いたのが、スポーツに関する知識の量と深さです。まるでデータブックのように選手にまつわる数字がどんどん出てくる。なんでそんなに覚えているのか尋ねると、『2カ月間たった一人で北極圏の調査でキャンプしている間、夜はすることがなくてデータブックを読んでたら、覚えたよ』って言うんです。他に音楽にも詳しい。彼は昔トロントのラジオ局で、ジャズ音楽のDJをしていたんですよ。しかもただ詳しいだけでなく、やはり評価の仕方が鋭い。家にはLPレコードが何千枚とありました」。どうやらホフマン博士、好奇心を持ったものにはどっぷりハマってしまうタイプらしい。
好奇心に分野などない
発表後、大ブームを巻き起こした“スノーボール・アース”説は、その後批判こそあれど打ち破られることはなかった。さまざまな研究者の研究によって少しずつ確証が積み上げられており、今では高校の教科書にも登場するほどの説となっている。論文の発表前から関わり、発表後もこれまでの展開を記録し追いかけてきたという川上教授は、関係する分野の広さについてこう話す。「この学説は地球科学分野においてはもちろんですが、それ以外の研究分野にも大きな影響がありました。例えば同時期に起こったとされる多細胞生物の進化史に大きく関わっていますし、気候シミュレーションや天体力学などから学説に迫るアプローチも試みられました。ただどれも“スノーボール・アース”という枠組みに基づいて考えていることに変わりはありません。これも彼の仕事がもたらした影響の大きさを表す一端ではないでしょうか」。
人一倍の行動力で大地全体を調査のフィールドにしながら、膨大な情報に裏打ちされた洞察力でローカルな地質に刻まれた過去の出来事を読み解く能力。その合わせ技から生み出されたのがプレートテクトニクスによって地球史を遡るための基礎となる研究であり、地球史を揺るがすスノーボール・アースという大事件を明らかにする研究だった。磯﨑名誉教授はホフマン博士を「科学者として“something different”な仕事を2つも成し遂げた、まるで大谷翔平のようなスーパーマンですよ」と評する。さて、御年83歳のスーパーマンの眼差しは、次に何を狙うのだろうか。地球、環境、そして生命の変遷に至るまでを包含するテーマと対峙してきたホフマン博士の好奇心に、もはや分野など関係ないのかもしれない。
〈本記事は日経サイエンス2024年11月号(9月25日発売)に掲載されました。〉