京都賞再耕 #08 ジョーン・ジョナス
作品を通して世界を翻訳し、自分自身の表現言語で語りかける

科学や技術、思想・芸術の分野に大きく貢献した方々に贈られる日本発の国際賞「京都賞」。受賞者の方々は、道を究めるために人一倍の努力を重ね、その業績によって世界の文明、科学、精神的深化のために大いなる貢献をしてきた人たちです。「京都賞再耕──じっくり味わう受賞者のことば」の連載では、これまでの京都賞受賞者へのインタビューを通して、記念講演会で語られた言葉をさらに掘り下げ、独自の哲学や思考プロセス、探求者の姿勢などに迫りたいと思います。今回は2018年に思想・芸術部門で受賞した、ジョーン・ジョナス氏にお話を伺いました。

インタビュー: 西村勇哉(NPO法人ミラツク代表)
執筆: 杉本恭子
翻訳監修: 藤田瑞穂(京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA(アクア)
チーフキュレーター/プログラムディレクター)

ジョーン・ジョナス(Joan Jonas)
美術家。マサチューセッツ工科大学 名誉教授。1970年代初頭にパフォーマンスとさまざまなメディアを融合させた、新しい芸術表現の先駆者の一人。現在もパフォーマンスと新しいデジタルメディアとの関係を探求し続けている。第56回ヴェネチア・ビエンナーレ(2015)アメリカ館代表。2018年テート・モダン(ロンドン)にて大規模回顧展開催。 さらに詳しく

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自分自身の表現言語を育てる

西村 京都賞の受賞記念講演会で、コロンビア大学の大学院で20世紀初頭の詩を学んだことが、作品の構造についての考え方に大きな影響を与えたとお話されていました。ジョナスさんにとって、詩とはなんでしょうか。

ジョナス 小説も詩もすべて含めて、文学から影響を受けたと言えます。しかし詩は、散文や小説の形式とはまったく異なる独自の構造をもっています。私はもともとあらゆる種類の物語を読むのが好きでしたし、自分のことを、ある意味で語り部のようなものだと思っています。でも、仕事をしてきた長い年月のなかで、詩的な構造というのは、私たちの生き方や世界を見つめる方法の基礎のようなものだとわかってきました。私たちアーティストの仕事は、そういったものごとを詩の形式で表現することに似ています。だからこそ私は、詩が構造をもつこと、そしてその凝縮された形式に惹かれるのです。ものごとを示唆するにはさまざまな方法がありますから。

彫刻制作と美術史の研究からパフォーマンスの方に集中するようになったとき、私は自分自身の表現言語を育て、自分の作品を構造化する方法を見つけなければならないと思いました。つまり、何かを生み出すときには形式が必要だということです。形式はとても重要です。たとえば私は、詩の形式や映画から着想を得ていました。初期の作品の構成は、詩や映画の形式を土台にしていますし、今でもそうです。それらは、自分の作品制作のプロセスのなかに組み込まれているのです。

Joan Jonas working on They Come to Us without a Word, 2015, installation for the Venice Biennale, Italy, 2015. Photo by Moira Ricci

西村 とても面白いです。詩の構造は必ずしも正しい文法に則していません。言葉を重ね合わせていくことによって、何らかの意味を示唆するという詩の構造が、ジョナスさんの作品がもつ構造にどのように生かされているのか、もう少し詳しく教えていただけますか。

ジョナス 1960年代に作品をつくりはじめたとき、まずバラバラなものを繋ぎ合わせることにしました。たとえば、モンタージュにおいては、まったく異質な二つのイメージを並べ、その二つの要素の組み合わせの変化によって、第3の意味をつくりだすことができます。映画や文章は、観る人や読む人が進むにつれて、異なるイメージを異なる方法で組み合わせていくものだと思います。自分の作品を人々がどう受け止めるのか、完全に知ることはできないのですが、自分の考えと表現を明確にするようには心がけています。

私は、自分の作品のなかでかなり多く詩を引用してきました。たとえば、パフォーマンス作品を制作するにあたって最初にひらめきを得たのは、アルゼンチンの作家、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの作品です。ボルヘスの物語はとても幻想的で、散文とは異なる領域に踏み込んでいました。それに彼の作品は非常に詩的な構造をもっています。そこで、私はボルヘスの短編小説とエッセイのアンソロジー『Labyrinths』から鏡に関する記述をすべて引用して、鏡をモチーフにしたパフォーマンス作品をいくつか制作しました。ボルヘスと彼の文章から影響を受けたことにより、私にとって鏡は最初のメタファー、そして最初の小道具になったのです。ごく初期から、自分の作品を重ね合わせていくなかで、映画や詩、音楽、ビジュアルアートの構造を作品に引用していくこと、それらが互いにどのように関わり合うことができるのかに興味がありました。

Joan Jonas, Mirror Piece II, 1970/2018, performance, Tate Modern, London, England, 2018. Photo by Lewis Ronald

こういった詩や映画の形式を用いて制作するアイデアの多くは、1960年代後半からのものです。私は、自分の視覚的言語とも言えるものをつくり上げたいと考え、ものごとを重ね合わせるようになり、それはタイムベースト・メディアの作品をつくりはじめてからより複雑になりました。記念講演会でも、アメリカのイマジズムの詩人による作品、そしてアイルランド文学や詩への関心について触れたと思います。もちろんそれだけではなく、長年にわたってさまざまな詩人たちとも仕事をしてきました。

即興は私たちの存在の一部である

杉本 ジョナスさんは、パフォーマンス作品をつくるときに事前にリハーサルを重ねて、細部までつくりこまれています。しかし、上演するときには完全にコントロールするのではなく、偶発的なものごとを取り込んでいるようにも見えます。作品の構造を練り上げることと、偶発性に委ねることのバランスについてどのように考えていますか?

ジョナス たしかに、私は何度も繰り返しリハーサルを行って、その通りに演じています。劇団などに比べると、私のスタイルは若干ルーズなので、移動するのに数秒多くかかったり、動作を少し加えたりすることはあるかもしれません。でも、成り行き任せというわけでもありません。

私の動きの多くは、小道具や動くオブジェと関わっていて、私の視覚言語の一部になっています。私は小道具やオブジェを集めて、それらを特定の方法で使用します。でも、私は自分の作品を「これはどういう意味なのか」と言葉で説明することを好みません。引用元や思いつく種になったもの、大まかなアイデアについては話せますが、一つひとつ細部まで説明したくはないのです。

Joan Jonas, Mirage, 1976, performance, Anthology Film Archives, New York, 1976. Copyright © 1976 Babette Mangolte

ほとんどの人は作品を開発するとき、即興でつくり、また即興作品を通してゆるやかにものごとを組み合わせ、さまざまな方法で動いてみたり、実験したりして何かに対する自分自身のアプローチを見つけ出すのでしょう。もちろん、私がパフォーマンスをはじめたときも、まず即興からはじめました。即興は私たちの存在の一部であり、生きていくための手段でもあるのです。

ジャズ・ミュージシャンのジェイソン・モランとコラボレーションしたときは、即興で作品を仕上げました。最初にジェイソンは、(パフォーマンスで)背景に投影する編集済みの映像やテーマ、場面などを見て、それから音楽のサンプルをいくつか持ってきてくれました。私が聴いて気に入ったものを選ぶと、彼はサウンドトラックを制作してくれました。私もまた、彼の音楽に触発されて新しい動き方を見つけることができました。私が鈴やおもちゃのような楽器をもって、彼がピアノを弾いて、一緒に即興演奏をしました。とはいえ、すべての即興演奏は特定のテーマに基づいて行われるものです。最近、私が少しルーズになり、アドリブを増やしているのは事実ですが、それはライブパフォーマンスにおける私の基本言語ではありません。パフォーマンスを繰り返すたびに、編集したり改良したりする方法を発見するのです。

西村 ライブパフォーマンスを演じるとき、観客の心のなかで起きていることをどのくらい想像していますか?

ジョナス 私は、観客が実際何を観ているのか、聞いているのかを考え、それをできるだけ一貫したものにしようと心がけています。ただ、もし観客の心のなかで起きていることを想像しようとすると、とても混乱することになるでしょう。私が観客の前であまり即興を演じない理由のひとつは、私の作品制作の方法にあります。私は観客のために映像をつくりますが、作品を作っている間は私自身が観客になります。私は絶えず自分自身のゾーンから外へ出て、自分が何をしているかを見つめています。ですから、映像で記録することは、外側から自分を観るのにとても役立つのです。

もちろん、観客の数だけ、それぞれに少しずつ違った視点があります。たとえ同じものを見ていても、違った受け止め方をする人の心のあり方にはとても好奇心をそそられます。しかし、舞台上で観客の気持ちを想像していては、頭がいっぱいになってしまいます。パフォーマンス中は、今この瞬間に集中する必要がありますから、そういうわけにはいきません。

作品を通してコミュニケーションをとる

西村 ジョナスさんの作品は、ひとつのイメージを観る人の心に残しながら、また次のイメージを表現するというようなものに思えています。そして、最後に作品全体のメッセージが統合していくような構造を考えられているのでしょうか。

ジョナス アートはコミュニケーションに関するものです。パフォーマンス作品をつくりはじめる前に、私は美術史と彫刻を学んでいました。過去(絵画や彫刻、それ以外の形式の作品の歴史)を振り返って見つめることで、私たちはコミュニケーションをとり、過去や他の文化から影響を受けています。たとえば、他の文化や儀礼の歴史に関心をもち、それらについての研究に取り組んでいました。

Joan Jonas, Lines in the Sand, 2002, performance at documenta11, Kassel, Germany, 2002. Photo by Werner Maschmann

はじめは、「なぜ、私はパフォーマンスをするのだろう?」「自分のコミュニティにおける私の居場所とは?」という問いを見つめていました。そして、自分の作品を儀式的なものと捉えてみたのです。宗教的、または精神的なものではなく、自分自身のための儀式です。仲間内での交流のなかで、毎日決まったことを繰り返す行為のようなものを指しています。

1960年代前半から、できるだけ多くのダンスの公演にも足を運びました。私たちはなぜ作品を観に行くのでしょうか? 作品を観に行く理由のひとつは、それが私たちを結びつけてくれるからです。なぜ私たちは作品をつくり、集まって一緒に観るのか、なぜひとつのコミュニティにいるのか、その理由について話し合うこともできます。私たちはお互いに、そして作品は私たちとコミュニケーションをとります。そうすることが意見交換につながるのです。

イメージを扱い、変化を起こしていく

西村 テクノロジーについて質問したいと思います。テクノロジーの捉え方として、まず使うことが考えられます。他には、触発されたり、駆り立てられたりすることもあるかもしれません。新しいテクノロジーに出会ったとき、どのようにそれと関わって新しい作品を生み出していくのでしょうか?

ジョナス テクノロジーは、ものごとや世界、知覚を変化させる装置であると定義されています。「テクノロジー」という言葉を調べてみると、定義のなかに「人間環境を変える技術」というものがありました。それまで考えたことはなかったのですが、この定義は私のテクノロジーを使うことに対する興味と、作品についての考え方そのものに合致しています。私にとってテクノロジーとは、必ずしも電子技術的なものではなく、鏡であったり、距離の使い方であったり、それが私たちの知覚に与える影響であったりもします。つまり、私がやりたいことは変化させることなのです。根底にあるのは、観客の空間、距離、物語の捉え方を変えたいという思いです。

Joan Jonas, Mirror Piece II, 1970/2018, performance, Tate Modern, London, England, 2018. Photo by Lewis Ronald

1960年代後半から1970年代前半にかけて「Mirror Piece」というパフォーマンス作品を制作しました。舞台では17人のパフォーマーが鏡を持って動き、空間と人と観客を映し出します。鏡を持ったパフォーマーの非常にゆっくりとした動きが、観客の空間の捉え方を変化させるのです。映像を使いはじめたとき、私はそれを現在進行形の鏡と称していました。イメージを扱いながら、観客の目に映し出されたそれらをどのように変化させていくかというのは、私の作品に通底することです。

杉本 ジョナスさんは、単一の表現形式によって作品を完成させるのではなく、音や動き、語り、映像やドローイングなど、複数の表現形式が融合する作品をつくっています。また、鏡や円錐などの小道具を多義的に用いられていますし、さまざまなアーティストとのコラボレーションも楽しんでいます。融合することに興味をもち続けているのはなぜでしょうか。

ジョナス アート作品をつくりはじめた頃は、料理をするのが好きでした。食べ物や料理はまさに作品制作の形式に通じるものがあります。二つの要素を合わせると化学反応が起きて第3のもの、ある味わいになるというように。今のような作品をつくりはじめたときは、作品制作を料理になぞらえて考えていました。

また、彫刻、美術史を経て現在と同じような制作活動に至るまで、それらの形式の間に大きな違いを感じてはいません。詩的な構造、映画的な構造、あるいは映画的なモンタージュ、これらすべての異なる表現形式の言語を使うこともできます。そうすることで、当時、他に同じようなものは存在しなかった、自分自身の独自の表現言語を見つけました。しかしながら、当時は形式間の境界が崩れはじめた時代でもありました。そうしたなかで私は、どうすればいわゆる「パフォーマンス・アート」の世界に足を踏み入れることができるのかを模索していたのです。演劇の経験はありませんでしたから、ダンスのワークショップなどで学びながら、観客の前で表現するパフォーマーになるために、自分なりの方法をつくっていく必要がありました。

そこで、他のダンサーの作品を観たり、ワークショップに参加したりして、人前でパフォーマンスをするようになる前に学び、実験することができました。

Joan Jonas, Organic Honey’s Vertical Roll, performance at Ace Gallery, Los Angeles, California, 1972. Photo by Larry Bell

作品制作中に、ある時点で「よし、これで完成だ」と思うときが来ます。それは直感的なもので、それぞれの作品にはそれぞれの終わり方があります。完成した作品に再び戻って手を加え続けるよりも、新しい作品に進むことの方に常に関心が向きます。ある展開やシークエンスが、ある作品から次の作品へと受け継がれることもあります。文脈や新しいテーマによって、それらのシークエンスに対する認識は違ってくるでしょう。他の私の作品に似通ったところはありますが、それらすべてのテーマは変化しています。その変化はときにラディカルで、またときには緩やかに発展することもあります。

たとえば、現代美術センターCCA北九州に滞在していたとき、100匹の魚のドローイングを描いて「They come to us without a word」というタイトルをつけました。この作品がきっかけとなり、アイスランドの作家、ハルドル・ラクスネスの『極北の秘教』を引用した「Reanimation」という作品が生まれました。彼が文中で表現する自然にインスピレーションを受けたものです。これは(2019年に)日本で上演した作品で、それ以外の国々でも上演しています。このように、ある作品は次の作品へと続いていきます。

Joan Jonas, Reanimation, performance at ROHM Theatre Kyoto in commemoration of her receiving the Kyoto Prize, Kyoto, Japan, 2019. Photo by Yoshikazu Inoue

西村 非常に正確に、緻密に表現を追求されているように感じます。何がそのような姿勢の原動力になっているのでしょうか。たとえば、若いアーティストや研究者たちにはどこまで追求すればいいのか悩み、迷う人も多いのではないでしょうか。それについて、何かお考えはありますでしょうか?

ジョナス 若いアーティストはみんな、自分自身の道を見つけなければなりません。「緻密さ」という言葉には、何千通りもの考え方があるでしょう。たとえば、私は今ミュンヘンのHaus der Kunstで大きなインスタレーションの展示を行っています。1週間の滞在中ずっと、考えることが山のようにありました。空間のどこに映像を投影するのか、オブジェはどこに置き、音声はどう機能させるのか。これらのディテールに気を配らなければ、作品は成立しません。

なかには、ディテールに興味をもたない若い人たちもいるでしょう。彼らはざっくりと大きな動きを求めていて、ディテールは偶然に、あるいは即興で生まれるものだと考えています。しかし私にとっては、ディテールは作品に不可欠な要素ですので、常に作品を見据え、ディテールの一つひとつを確認していく作業が必要になります。たとえば、音質と映像投影の質は等しく重要ですし、プロジェクターで精確な色を表現することも大事です。建築物やその構造の精査と同じように、どの芸術分野でもディテールは重要なのです。

Joan Jonas, Reanimation, performance at ROHM Theatre Kyoto in commemoration of her receiving the Kyoto Prize, Kyoto, Japan, 2019. Photo by Yoshikazu Inoue

観客はパフォーマーにエネルギーを返してくれる

西村 以前、能楽師の方に「その演目の上演にどれほどの鍛錬が必要かを理解している観客がひとりでもいると、より良く演じられる感覚がある」と伺ったことがあります。ジョナスさんの作品が思い描いた通りになるために、観客はどのような役割を果たしているのでしょうか。

ジョナス 良い状況であれば、パフォーマーは観客が強く引き込まれ、完全に飲み込まれているのを感じられます。「今夜のパフォーマンスはとてもうまくいったし、観客も素晴らしかった!」と実感することができるのです。

パフォーマーとして演じはじめた頃、舞台恐怖症で緊張してしまうことがありました。だからいつも、観客のなかに私の作品を本当に理解し、気に入ってくれる人が3、4人はいるのだと想像していました。観客との関係は、状況によっても異なります。たとえば、イタリア人はパフォーマンス中におしゃべりするのが好きで、矛盾やシュルレアリスム的なイメージの並置を何も聞かずに直感的に受け止めてくれることが多いです。一方、ドイツ人は非常に論理的なものの見方をしているので、終演後にたくさん質問されることもあります。

観客との関係については、すべての観客が重要です。私のパフォーマンス作品には、大きな空間では観客に伝わらないため、小さな空間で演じなければいけないものもあります。また、2年前にジャズピアニストのジェイソン・モランと京都で上演した「Reanimation」は、大勢の観客とコミュニケーションをとるために、音や大きな動きが重要でした。たくさんの観客が来てくれるとワクワクしますし、スリリングにも感じます。観客は作品に影響を与えるというよりも、作品をつくってくれる存在です。観客がパフォーマーにエネルギーを返してくれるのです。


Joan Jonas with Jason Moran , Reanimation, performance at ROHM Theatre Kyoto in commemoration of her receiving the Kyoto Prize, Kyoto, Japan, 2019. Ms. Jonas with Jason Moran (left). Photo by Yoshikazu Inoue.

能や歌舞伎の精神は作品にしみこんでいる

杉本 ジョナスさんは、詩を学んでいるときに俳句に興味をもち、溝口健二監督の「雨月物語」や小津安二郎監督の作品など日本映画もご覧になったそうですね。また、来日されたときに能を鑑賞したことが、「Organic Honey」などの作品に影響を与えているとおっしゃっていました。日本文化はご自身の作品にどのように影響しているのでしょうか。

ジョナス 能や歌舞伎には強い影響を受けましたし、その精神のいくらかは私の作品にしみこんでいます。肝心なのは、私は決して能や歌舞伎のイメージそのものを模倣することには興味がないということです。私の制作はキャラクターづくりやドラマに基づく西洋の伝統的な演劇に根ざしています。しかし、能は他の多くの東洋の演劇のように、テキストと音楽や動きによる音楽劇であり、あるいは動きが重要な舞踊劇なのです。私はそこに強く惹かれ、自分自身の作品を展開する上でのインスピレーションや根拠を得たように感じました。

初めて京都で能を鑑賞したとき、必ずしもその謡曲のストーリーを理解していたわけではありませんでした。でも、視覚的な要素と音だけで楽しんで観ることができました。能舞台の床下には音響効果を生むために甕が埋められていて、それが太鼓のようになって、演者が床を踏むと音が響くのです。また能や歌舞伎では、紙や棒などの身近な素材や、とてもシンプルな物が小道具や装置として使われていることに惹かれ、そこに大きな影響を受けました。

Portrait of Joan Jonas and dog Ozu. Photo by Brigitte Lacombe

私の作品を観ても、必ずしも日本的なものを思い浮かべないかもしれません。とても抽象的で深いところに影響を受けているからです。新しい作品に着手するとき、何をつくりたいのか、どこからはじめればいいかがわからないことがあります。そんなとき、昔読んだ能楽の本を読み返します。最近では、いくつかの謡曲から引用したフレーズや言葉を組み替え、再配置して詩をつくりました。

能から影響を受けた、二つの具体的な要素についても触れておきたいと思います。能楽堂のなかでは木と木がぶつかり合う音がとても強く感じられます。1970年に日本を訪れて能を鑑賞した後、その音の記憶にヒントを得て、木の塊を叩く音で音の遅延を表現することにしました。これは、「Song Delay」などの野外でのパフォーマンスで、距離による音の遅延を表現するための手法になりました。もうひとつは仮面を使うことです。ただ、私が使っているのは、日本の面のようなものではありません。たとえば、私が最初に使った仮面はカナダのホッケーマスクでした。他にも、メキシコの仮面や、他の素材、たとえば金網でつくった仮面など、いろいろな種類のマスクを集めています。加えて、長年にわたって日本の着物も作品に使っています。着物のフォルムがもつ柔軟性と美しさもまた、影響を受けた要素のひとつですね。

一つひとつの作品はプロセスの一部にある

西村 何かからインスピレーションを受けて作品をつくり、また綿密なリサーチをはじめるというように、ある段階から次の段階への切り替えはどのように起きるのでしょうか。

ジョナス 切り替えがあるわけではなく、ゆるやかに展開していきます。たとえば、映像を使いはじめたときには、まずビデオカメラをセットしてその前に座り、モニターに映る自分を見て、オブジェや仮面や音などを使って即興的に表現しました。

Joan Jonas, Organic Honey’s Vertical Roll, performance at Galleria Toselli, Milan, Italy, 1973. Photo by Giorgio Colombo

大規模な作品の制作には、だいたい2年の周期で取り組みます。これはパフォーマンスという作品形式の一環だと思っています。発表することである結論を出さざるをえなくはなりますが、それはあくまでプロセスの一部なのです。数ヶ月後には別のバージョンをつくり、さらに発展させていきます。作品の一部を取り出しては、また作品に戻すということを繰り返しています。私的な世界とでもいいましょうか。これが作品を展開させていくひとつの方法です。

もうひとつは、空間を使って作品をつくるということです。空間はとても重要です。たとえば、ニューヨークのDia: Beaconでジェイソン・モランと作品制作をしたときには、その場で6週間もの間、一緒に作業して作品をつくりあげていきました。そのような機会は滅多にありません。

このときは、この空間で作品制作をするための準備として、作品の趣意を考え、映像を撮影・編集して背景となる映像をつくる作業に2、3年をかけていました。そして次の段階として、ジェイソンと一緒に、作品の趣意に基づいて背景となる映像と脚本の構成を使いながら、毎日音と動きをつくっていきました。このような作業を重ねて、少しずつ作品が仕上がっていったのです。

Joan Jonas, Reanimation, 2010/2012/2013, Gavin Brown’s enterprise, New York, NY, 2017. Photo by Thomas Müller

一方、2022年に「Out Takes. What The Storm Washed In」という作品をつくりました。アシスタントのデイビッド・シャーマンと一緒に過去のすべての作品に目を通して、一度も発表したことがなかったり、ニューヨークで未発表だったり、ほとんど人の目に触れたことのないセクションを発見しました。これらを一連の映像にしてみたところ、不思議なロジックが生まれ、バラバラのイメージがまとまったのです。これらを再生して、「この映像に関連して何をしよう?」、「どうすればこの映像とあの映像をつなげられるだろう?」などと考えながら、パフォーマンスを完成させました。今お話ししたのはわずか二つの例ですが、作品ごとに展開の仕方が少しずつ違っています。

最近、私はダンサーの尾竹永子さんとコラボレーションしています。永子さんが即興で踊るダンスは本当に信頼できるものです。彼女が何をするのか具体的にはわからなくても、私はすんなりとそのパフォーマンスに踏み込むことができます。私は永子さんを演出してみたいと思い、一緒に作品をつくりました。私が小道具を持ち込んですべてのシチュエーションを設定し、作品の核となる部分を担う彼女は、私とともにパフォーマンスをしながら、そのすべて応じてくれました。これもまた、作品制作の方法のひとつです。彼女とはまた一緒に作品をつくるつもりですが、コラボレーションのあり方は他の人とのものとは異なっています。作曲家のジェイソンとのコラボレーションに少し似ているかもしれません。

好奇心が科学者とアーティストを結びつける

杉本 ジョナスさんはマサチューセッツ工科大学(MIT)で12年にわたって教えておられました。科学者たちと仕事をした経験から、科学者とアーティストの役割についてどのような考えをもっていますか?

ジョナス 科学者は宇宙や物質のあり方などを探求していて、さまざまな役割を担っていると思います。私がMITにいた頃は、建築学科に設置された小規模な芸術系のプログラムで教えていて、教え子は建築を学ぶ学生や、他の学科の科学を学ぶ学生たちでした。科学を学ぶ学生と芸術を学ぶ学生の間の大きな共通点は、ある問いに対する答えを見つけるために実験を行うということです。彼らはともに、宇宙を探求しているのです。

Joan Jonas working on They Come to Us without a Word, 2015, installation for the Venice Biennale, Italy, 2015. Photo by Moira Ricci

私が科学者とコラボレーションをはじめたのは、近年の作品「Moving Off the Land」からです。この作品は、海洋をテーマに活動するアート団体、TBA-21アカデミーからの依頼を受けて制作したものです。「Moving Off the Land」は、環境との関わりにおいて今まさに存在しているきわめて重要な問いを描いた作品です。海というのは広大なテーマでしたが、私にはこのテーマに取り組むアイデアがありました。自ら開発したカメラとレンズを使ってさまざまな方法で魚を撮影していた、海洋生物学者のデヴィッド・グルーバーとの協働です。このカメラとレンズは、魚の目を模倣したもので、魚と同じように世界を見ることができるのです。私たちの目では魚には見える発光生物を捉えられませんが、このカメラでなら可能です。

また、デヴィッドは海中で撮影した映像も使わせてくれました。そこで、私はその文脈に合わせて、デヴィッドの映像とパフォーマーたちの動作とを組み合わせました。たとえば、動植物のさまざまな姿を捉えたこの美しい映像を用いれば、水中の人魚のイメージを表現できるのです。ただ、アーティストと科学者が一緒に制作したり何かを共有したりするには、かなり大変なプロセスを経なくてはなりません。

杉本 アーティストと科学者のコラボレーションを可能にするのは、何かを追求したいという気持ちなのでしょうか。

ジョナス アーティストと科学者を引き合わせ、一緒に仕事をしたいと思わせるのは簡単なことではありません。しかし、それを可能にするのは、私たちが生きている宇宙を探求しようとする好奇心なのです。私の場合は、ある学会でデヴィッドと出会い、彼の研究に興味をもつようになって、今も交流しています。一緒に仕事をしているもう一人の科学者は、海底を流れる河川に関する専門家です。

私がこの分野のプロジェクトをやりたいと思っていたときに、彼は海底の河川システムのソナー画像を送ってくれました。これらの画像をもとに、75枚のドローイングを描きました。科学者が与えてくれたアイデアからドローイングを制作することは、彼らの仕事の視覚的な翻訳だと言えるでしょう。そのソナー画像が何を表しているのかわからない人たちにとって、この翻訳はとても重要で、それ自体で存在しうるものだと考えています。

このように、科学者と交流しながら学ぼうとすることは、私の仕事における新たな展開だと思います。人が学び、研究することをやめることはありません。地球や海、そして地下河川について学ぶことは私にとってとても魅力的で、科学者は私を全く異なる方法でそのテーマに導いてくれるのです。

西村 学生時代に弓道をたしなんだのですが、道場で弓を引いていたときのように、非常に高い集中力のなかでお話を伺う時間でした。貴重な時間をいただきありがとうございました。

(インタビューはオンラインにて2022年9月1日に実施しました)

 

受賞当時に開かれた記念講演会を下のYouTube動画でご覧いただけます。

 

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〈インタビュアー略歴〉
西村勇哉(にしむら・ゆうや)
NPO法人ミラツク代表理事。大阪大学大学院にて人間科学(Human Science)の修士を取得。セクター、職種、領域を超えたイノベーションプラットフォームの構築と、年間30社程度の大手企業の事業創出支援、研究開発プロジェクト立ち上げの支援、未来構想の設計、未来潮流の探索などに取り組む。 国立研究開発法人理化学研究所未来戦略室 イノベーションデザイナー、大阪大学社会ソリューションイニシアティブ 特任准教授。  NPO法人ミラツクのウェブサイト

〈ライター略歴〉
杉本恭子(すぎもと・きょうこ)
フリーライター。同志社大学大学院文学研究科新聞学専攻修了。アジール、地域、仏教をテーマに、研究者、企業経営者、僧侶、まちづくりをする人たちへのインタビューに取り組む。『京大的文化事典 自由とカオスの生態系』(フィルムアート社)著。  writin’room